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投稿記事Posted: 2015年9月09日(水) 17:56 
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管理人

登録日時: 2014年7月25日(金) 11:06
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朝日新聞2015年9月8日朝刊15面、「核といのちを考える 米国が向き合う原爆」と題して、3人のインタビュー記事が掲載されていたが、歴史的事実に照らして重大な誤りがあるので指摘しておく。

このなかの一人、歴史家のサミュエル・ウォーカー氏がこう語っている。

引用:
「原爆は不要だったとする修正主義者らの主張の欠陥の一つは、日本がすでに降伏することを決めていたというものだ。それは誤りだ。原爆が投下されるまで、日本が降伏を決めていたという証拠はない。なお戦争継続を主張する勢力が指導部にいることを米側は分かっていた」


否。原爆投下の時点、日本はすでに降伏することを決めていた。

6月22日(拙著『終戦史』p194~)、昭和天皇はみずから、最高戦争指導会議の構成員、すなわち、日本国の和戦の決定に関わる指導者全員を緊急招集して秘密の会議を開いた。この会議において、昭和天皇自身が提案した「速やかなる戦争終結」について、指導者全員が合意している。
さらに、指導者の中で最大のキーパーソン、本土決戦を強く主張しその準備を中心になって進めていたはずの陸軍・参謀本部のトップ、梅津美治郎総長が、「和平の提唱は内外に及ぼす影響大なるをもって、充分事態を見定めたる上、慎重にするの要あり旨」を述べたあと、さらに昭和天皇の質問に対し、「慎重とは必ずしも敵に対し一撃を加えたる後というに非る旨」を言上した、という記録も存在する。

それまでの日本軍は、戦局明らかに不利、敗戦につぐ敗戦を重ねていたが、頑なに「一撃講和」を求めて戦い続けてきた。すなわち、米軍に対し「一撃」を加え、その戦果をもって「講和」、すなわち、無条件降伏ではなく有条件降伏、さらにいえば、できるだけ良い条件での降伏を目指してきた。
だが、この6月22日の会議をもって、「一撃」が必須ではなくなり、「早期降伏」を日本政府・軍のトップたちが合意した。それが持つ意味は非常に大きい。少なくとも、原爆投下が彼らを継戦から降伏へと翻意させたわけではない(ただし、降伏を決めてはいたが、無条件降伏を呑んだわけではない)。

また、「なお戦争継続を主張する勢力が指導部にいることを米側は分かっていた」のくだりだが、「なお戦争継続を主張する勢力」が指導部にいたかどうかという点と、日本が降伏を決めていたかどうかという点が関連するかどうかは、前者と後者の因果関係の有無によって左右される。「なお戦争継続を主張する勢力」が指導部にいたとしても、それは、日本が降伏することを決めていない理由には、ならない。

「なお戦争継続を主張する勢力」、すなわち、徹底抗戦派とは主戦派とか言われる勢力をさすのだろうが、彼らは6月22日の会議の内容を知らない。7人の指導者たち(昭和天皇、鈴木首相、東郷外相、阿南陸相、米内海相、梅津参謀総長、豊田軍令部総長)が日本の早期降伏を決めて以後も、日本政府と軍は表面上、従来の態度を変えなかったし、本土決戦に向けた準備は粛々と進められた。それは、国内的には、「国民の士気に影響し、その結束の乱るること」を恐れたからだし、国外的には、その強硬な態度を固持することで、自国を「高く売りたい」との思惑があったのだろう。

つまり、「日本はもう弱気だ、この戦争は長く続かない」との観測が国外に広まれば、無条件降伏が妥当となってしまい、より有利な条件を引き出すことができなくなってしまう。また、この時、日本は、潜在的な敵国であるソ連を相手に和平仲介交渉を進めていたが、日本がもう駄目だとソ連に知られてしまえば、和平仲介どころか逆にソ連に攻め込まれてしまう危険性があった。

というわけで、「なお戦争継続を主張する勢力」の存在は、「日本が降伏を決めていない」根拠にならないばかりか、「日本はなお継戦意欲盛ん」と対外的に信じこませ、和平交渉を進めるための駒だった可能性すらある。

この勢力の存在を把握していた米側が、それをもって「日本はまだ降伏しない」と判断した、だから原爆投下で戦争を早く終わらせようとした─サミュエル・ウォーカー氏の主張はそういうことだろう。しかし、アメリカは日本の暗号電報を解読しており、日本がソ連に対して和平仲介を頼もうとしていたことはわかっていたはずであり、つまり、少なくとも日本に戦争終結の意思があることをアメリカは知っていたはずだ。にもかかわらず、原爆を投下したのだ。

サミュエル・ウォーカー氏はさらに、

引用:
「「日本を即時降伏させるために原爆投下は必要だったのか」と聞かれれば、私の答えはイエスだ。原爆を使わなかったら、どれだけ戦争が続いていたか分からない。米国の原爆とソ連の参戦の両方が必要だった」


とも述べているが、これも誤りである。

6月8日の御前会議における報告では、日本の国力は8、9月頃までしか持たないことが示された。とりわけ航空用ガソリンの不足は甚だしく、海軍は8月、陸軍は9月までしか持たないという深刻さであった(鈴木多聞『「終戦」の政治史 1943-1945』(東京大学出版会、2011年)p122-123)。

要するに、当時の日本が示していた威勢の良さは、見た目だけの「カラ元気」に過ぎなかったから、日本を降伏させるのに、米国の原爆もソ連の参戦も必要なかった、というのが歴史的事実である。

おそらく、当時の日本にとって、最も恐ろしい事態とは、一億玉砕につながりかねない本土決戦、ではなかった。むしろ、本土決戦が行われず、時間だけがただ過ぎていくこと、だった。本土決戦は、迎え撃つ日本側がいくら準備万端整えても、米軍がやってこないことには始まらない。そして、いつ、どこに米軍がやってくるかは、米軍が決めることだった。すでに日本全国、大都市から中小都市に至るまで、空襲で焼き尽くされていて、国民は疲弊しきっていた。いっぽう、日本国内には大量の軍隊が駐屯し、米軍がやってくるのを、ただじりじりと待ち構えている。史上最大規模に膨れ上がった日本軍の臨戦態勢を維持・継続しなければならない。そのコストは、疲弊しきった国民に、さらに重くのしかかる。

そうこうしているうちに航空用ガソリンが無くなる。特攻機がいくらあっても飛べない。夏が終わり、秋が来て、食糧不足が深刻化するだろう。6月8日の御前会議でも、「局地的に飢餓状態を現出する」と報告されている(同上)。いつまでこんな状態が続くのか。国民の士気は下がり、結束は乱れる。混乱し、分裂する国民。軍や、さらに天皇に対する不信の念が増幅されるだろう。そのうち、「共産革命」が起こって、戦争どころか内戦になってしまうかもしれない(じっさい、米内海相が共産革命を危惧していたという話もある。拙著『終戦史』p391註22)。…となれば、国体護持どころの騒ぎではない、日本国は戦わずして内部崩壊である。

アメリカが日本を屈服させるために、原爆投下も日本本土侵攻も、必要なかった。ただ、ちょっとの間、待っていれば済んだのだ。

このサミュエル・ウォーカー氏のインタビュー、タイトルは「脱「神話」へ歴史学び直せ」とある。学び直したほうがいいのは、サミュエル・ウォーカー氏本人ではあるまいか。

なお、インタビューの聞き手は田井中雅人氏。


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