昭和20年8月15日は、正午に昭和天皇によるいわゆる玉音放送がラジオで流れ、日本の敗戦が日本国民に知らされた日である。 僕はこの日の日本人が実際にどうであったのかを知りたい。その理由はいずれちゃんと書くことにして、まずは今日の新聞に載っていた、大林宣彦氏の証言を以下に。
「敗戦の年の8月15日は7歳。軍医として戦地にいた父の代わりに家を守っていた母は長い髪を切り、父のスーツを着た。僕につぎあてのない服を着せ、短刀を置いて『朝まで起きていましょう』と言った。国が負けた後、男は撲殺され女は強姦される。そんな張り詰めた空気がありました。母は僕を殺し死のうとしていると、子供心に覚悟しました」(大林宣彦氏インタビュー、朝日新聞2014年8月9日朝刊13ページ)
これはひとつのリアルなさまであったのだろうと思う。しかし一方で、こうした受け止め方ばかりというわけでもなかった。この日、多様なさまが日本全国で、そして外地でも(若干のタイムラグがあったかもしれないが)、起こったはずである。
そしてそこから、「僕ら」の根源的な本質や、そこを起点とした延長線上にある現代を生きる「僕ら」の問題が、見えているのではないかと思っている。
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