歳をとって思うこと。
人間だから、生きてれば色々とある。当然、いいことばかりではない。思い出したくもないことも、たくさんある。人からひどいことをされたことも、逆に人にひどいことをしたことも。
歳をとればとるほど、いい記憶も積み重なっていくが、同様に、悪い記憶も積み重なっていく。
生きている間ずっと、悪い記憶と向かい続けなければならない。 これは、苦行だ。
僕自身は、いいことも悪いことも、過去のことはわりと忘れっぽいほうだと思う。同窓会に出ても、何も覚えていなくて話についていけない位だから。でも、それでも、時々、嫌な思い出が急にフラッシュバックしてくる。しかも歳をとるにつれ、そういうフラッシュバックが増えてきたような気がする。
長寿、というのは、その点からすると、悪しき記憶と向き合う苦行の時間が長引く、ということだ。 と考えると、長生きは辛い。
長寿の秘訣は忘れっぽいこと、といった話をどこかで聞いた気がするが、そう考えると、たしかに、忘れなければ長生きが無理だ。 また、長生きしているお年寄り達は、それぞれの抱える悪しき記憶に打ち勝つ、逞しい精神力を備えた人たち、ということになるかもしれない。 若者のような多感さをそのまま変わらず持ち続けていったら、きっとどこかで、耐えられなくなっているのだろう。…と考えると、僕もすでに、多感さだとか、みずみずしい感性だとかを喪失した、鈍感なオッサンのひとり、ということになるのだろうが。
そして、そう考えていくと、「思い出作り」ができるのは、若い世代だけ、ということになるから、子どもたちはせっせとこの「思い出作り」に邁進してもらいたいと思う。
(家の庭にいる虫とか、毎日エサをあげて世話しているメダカとか、いまもミンミンうるさいセミとか、彼らはとても寿命が短いし、かつ、生命の安全が保証されているわけではなくて、いつ外敵にぱくっと食われたりしてさらに短い生涯を終えるかもしれないけど、でもそんな彼らは「生きるの、うぜー」とかアンニュイな態度を示すことなく、死の瞬間まで生をまっとうしている。後悔とかすることもないだろうし、過去の記憶に悩まされることもない。そんな彼らの姿を見ながら、振り返って自分たち人間のことについて考えてみました)
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