夢を持って生きることの素晴らしさがしばしば語られたりするが、僕はそれに対し、少なくとも疑問を抱いている。
この世の中、夢がかなった人生を送っている人は、ごく稀なはずだ。近所のコンビニの店長とか、トラックの運転手とか、あるいは普通のサラリーマンとか主婦とか、その日々は夢がかなった結果というわけではないだろう。むしろ、夢破れた結果に今がある、という人のほうが多いのではないだろうか。
ところでこの国に、夢を持つことの素晴らしさ、という価値観が芽生えたのは、いつのことだろうか。少なくとも明治維新以降であることは間違いないはずだ。士農工商の身分制度の時代に夢を持っても仕方がないから。すると、日本が開国し、列強諸国と対峙し、富国強兵を唱え、日清日露を戦い、軍事力を強化し続け、最後の帝国主義国家として世界史に登場し、他国を侵略し、財産や生命や領土を強奪し、片や自国民に飢餓や勝ち目のない突撃や空襲の恐怖を強い、国土を焼け野原にされ、失った自尊心を取り戻そうとがむしゃらに働き…といった歴史の過程で発生し定着したのが、この、夢を持って生きることの素晴らしさ、という価値観ではないか。
それはいったい、誰の思い通りのことだろう。
僕自身は、子供の頃から、夢を抱いたことはない。ない、と断言したら言い過ぎになるか。上京して薬師丸ひろ子のマネージャーになりたいとか、あるいはやはり上京してプロのミュージシャンになりたいとか、一時的にくだらない夢を持ったことはある。が、「子供のことからの夢」なんてないし、もちろんその夢を実現させようと頑張ってきた過去も持っていない。ただ、一日一日を、それなりに生きてきただけだ。
夢のない人生が悪いとも、無意味とも思わない。 むしろ、夢を持てなどと空疎な呪文を唱えつづけているほうが、無責任だと思うが、どうだろう。
|