安保法案がきょう(2015年09月18日)にも参議院本会議で採決、成立かという情勢のなか、これを書いている。
きのう18時前頃、国会図書館を出て永田町駅に入ったとき、駅入口に革マル派がいた。 正確には、肩のあたりに小さく確か赤字で「革マル派」という印刷文字の入った何かを身にまとった青年(男性、30歳くらい?)がいた。「辺野古移設反対」という文字も覚えている、タスキか何か。 革マル派、なんてワードを目にしたこと自体が超久しぶりで、「まだいたんだ」というのが率直なところだが、しかし革マル派のサイトには「戦争法案の参院採決阻止!」と赤字ででかでかと書いてあるので、まあ、国会前のデモ隊に革マル派も加わっていて当然ではあるのだが。
さて。 2011年の震災以後、僕はいわゆる「ネット社会」に失望している。その詳細経緯とかは当時あちこちに書き散らした気がするので、調べればちゃんと書けると思うけど省略。要するに、暗躍する「分子」の存在について、断定はできないけれどもなんだかそんな胡散臭い匂い充満を各所で感じたのだ。それは政治運動的な方面でのことであるけれども、一方でビジネスの世界では、企業の口コミ操作的なことは普通にあると言われているから、まあ、同様のことがビジネス以外で横行していても不思議ではないというか、普通そうでしょう。 ネットの匿名性というのは「分子」にはとても都合がいい。素姓を隠し、偽り、あるいは一人が何十人何百人いるかのごとくアカウントを使い分け、一般大衆を思想操作し、煽動する。
今回の騒動にも、同じ匂いを感じて仕方がない。
メディア報道では、若者らがおのおの自主的にデモに参加しているというのだが、まあそういう向きも中にはいるのであろうが、少なくとも僕が直接見た限りにおいては、そういう若者をまだ目にしていない。昨日のように国会図書館にはよく行くので、最寄の永田町駅、国会議事堂前駅も当然よく使うのだが、たとえば今週月曜(2015年09月14日)の国会周辺の警備状況とかは今までにない位の物々しさだったが、そこで僕が見たデモ参加者は、メーデーの代々木公園と同種の人たちという印象でしかない。要は共産党。
「戦争法案」というフレーズは実にわかりやすい。危険なぐらいにわかりやすい。僕には、彼らが、強烈に訴求力を持ったこのフレーズを使って、そうとは知らない、良心的な普通の人々を煽動している、ようにしか、どうしても見えない。 (あくまでも主観的な印象ではあるが)
彼らが目指すものは、何だろう。
僕は共産党が徹底的に嫌いである。敗戦後の占領期、GHQの民主化政策に乗じた彼らの存在感が非常に強まったことがあった。当時の日本共産党は、社会を大混乱に陥らせることによって「革命」を成し遂げようと考えていた。たとえば詳細は忘れたが、東芝の工場で、なんとかの灯を消すな、という、彼らのスローガン、活動があった。それは確か、メンテナンスの必要な「なんとか」って機械を稼動させ続けることで、それをぶっ壊してしまおう、という乱暴なものだった。なんでそんなことをするかというと、やっぱりそれによって社会を混乱させることが目的だった。そんなことしたら労働者は飯の食いっぱぐれになってしまうのだが、革命という大義のためには個々の事情など知ったことか、というのが、当時の日本共産党の方針であった。 (このくだり、記憶にのみ頼ってやや不正確だが、大筋において間違いはないはず)
まさか占領期の再来、革命を起こそうというわけでもあるまいし、一体彼らは何を目指しているのだろうか。 …と考えて、思いついた。 戦争をしないためには、日本が共産主義国家になってしまえばいいんでないかい? それで中国、北朝鮮と「仲間」になってしまえばいいのだ。 そしたら日米安保も破棄。米軍基地も全部撤収。当然、辺野古移設もなし。 いいことずくめではないだろうか。 …ということは、彼らはやっぱり、この機に乗じて革命を成就させ、共産主義国家への変身を目指している、のではあるまいか。
「戦争法案徹底反対」の行き着く先とは、そういう姿の日本国ということではあるまいか。果たしてそれでいいのだろうか。。。
非常にざっくりした僕の歴史理解でいうと、日本国は明治以来、(敗戦後の占領期を除き)独立国家としての道を歩んではきたものの、ほぼ常に、世界を支配する大国に、コバンザメのように追随してきた。 最初はイギリス依存。イギリスの凋落とともに独自路線への転換を試みる(革新派)も、うっかりナチスドイツなんかと同盟を結ぶことになってしまって世界から孤立、なんだかんだとあった末に昭和20年の敗戦という事態を迎える。その後は言わずと知れたアメリカ依存。さて、かつての帝国主義的世界でイギリスパワーが落ちていったのと同様、現在はアメリカがパワーダウン。そこに勃興してきた新勢力の中国。 これまでのパターンからすれば、この機に、あるいは、いずれ、日本がアメリカから中国に、依存先を変えたとしても、一向に不思議なことではない。
最後に、「戦争法案」に対する僕の対案。 戦争というのは外交の破綻で生じるものだから、外交が破綻しないよう、外務省の予算をいまの数倍にして、外務省から「スーパー外務省」へと生まれ変わらせ、兎にも角にも、外交力で危機に対処していったらどうか。 どうも日本外交は戦後対米追随ぺったりで、外交力が低下しているような気がする。今回の事態も、問題の根底には日本の低い外交力があって、それを軍事的な対策で何とかしのごうというのは、ちょっと違うんじゃないか。
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