モチベーション、やる気、意欲…。 僕らは、というか僕は、それを大事なものだと思ってきた。
が、本当にそうなのかなあ、と、最近、疑いはじめている。
犬や猫、それに自然の生き物は、モチベーションなんて持ってない。 ただ、生きている。
モチベーションを高く持って生きることを要求され続ける一生というのは、要するに、目の前にぶら下がったニンジンを追っかけて走る馬と同じだけじゃないか。 適わぬ夢、それがモチベーション。
夢を持とうと言う。 青年を大志を抱けと言う。
でも、僕は小学生の頃、夢を持っていなかった。 少なくとも、サッカー選手になりたいだとか、何になりたいだとかいった夢は、持ったことがない。
超高齢化社会だ。 高齢者も生きがいを持って生きろという。 何のために?医療や福祉に国が注ぎ込む金を、少しでも抑えようという厚労省の計算。 別の言い方をすれば、「かつてのお年寄りのような手厚いケアはできないんで、できるだけ自分でやって」と突き放していることになる。 それが現実だということはわかっているから、だから厚労省は人でなしだ、だとか言って責める気はない。 僕らは僕らの現実を生きなければならない。
ただ、年寄りに「夢を持て」って言われてもなあ。 モチベーションというフライパンで「アチチ、アチチ」と踊り続ける人生ってのも、空しい。
この国は、明治以降、高いモチベーションを持ち、かつての大日本帝国時代は戦争につぐ戦争で世界に確たる居場所を占めようとし、戦後はモチベーションの矛先を経済に向け、しゃにむに突っ走って「ジャパン・アズ・ナンバーワン」を目指し、いまもその延長上にある。その国を支えるという立場にあくまで立つ限り、モチベーションを保ち続ける必要があるだろう。
が、一人の個人として、モチベーションなんて必要なのか一体。 それよりも平常心なんじゃないかと思う、今日この頃。
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