子どもの頃、というと僕の場合は70年代あたりになるが、「未来はこうなる」的なイラストとか見て、未来のイメージを膨らませたものだった、として、いざ大人になって、というか具体的には21世紀を迎えてみて、がっかりしたというか、子どもの頃にイメージした「未来」がちっとも実現されていない現実を目の当たりにして、まあ、こんなもんかなという、醒めた感覚があった。
未来っぽい風景は、たしかにある。電車で駅で街でスマホがあふれ、人々がスマホを手に、スマホの画面を見つめながら、あたかもスマホに操られているように歩いている様は傍目にはかなり異様で、ルパン三世の「マモー」的な未来像とダブるものがある。世界を操る1つの人工頭脳、といったモチーフはSFの世界では定番的なものだと思うが、かつては「そんな馬鹿な社会が、訪れるわけがない」と思っていたのに、現実には、かなり近い感じになってしまっている。
でも、僕らはちっとも変わっていない。相変わらず、くだらないし、どうしようもない。科学技術が発達しネットワークが張り巡らされた今も、僕らはただの、俗っぽい人間だ。
自然の姿も、ちっとも変わっていない。だから田舎の姿もぜんぜん変わっていない。
40年前にイメージした未来と、現実のこの世界との落差を実感している僕らは、40年後の未来に、絶望であれ希望であれ、今とそれほど懸け離れた世界を想像できない。
キラキラした未来っぽい未来など、人類には永遠にやってこないのではないか。
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