高校を卒業して上京するとき、父親に、「よそ様に迷惑だけはかけるな」と訓令されたことを覚えている。
とりたてて親孝行というわけでも、行儀がいいというわけでもなかったから、そうは言われても、まあ人並み程度には、よそ様に迷惑をかけてきたと思うから、その訓令に忠実だったとは決して言えないが、でもその一方で、「人にできるだけ迷惑をかけないように」という一種の暗示みたいなものが体にしみついているようにも思う。
他人に迷惑をかけない。それはそれで正しい人生訓だとは思うけど、はや若気のいたりの時期をとっくにすぎ、もうじきジジイの仲間入りをするにあたって思うには、「他人に迷惑をかけないだけの人生なんてくそったれ」だということだ。
基本原則からいえば、人が他人に迷惑をかけないなどということはありえない。人は社会的動物であり、互いに支えあって生きるものであり、それは言い換えれば互いに迷惑をかけあって生きるということだ。だから、「やたらと迷惑なクソ野郎」だと大変困るが、そこそこに迷惑をかけるのはむしろ当然、デフォルト、お互い様だ。
だから、父親の僕に対する訓令は間違っている。どうせ言うなら、「多少人に迷惑をかけるぐらいはかまわないから、そのぶんだけ、いや、そのぶん以上に人を助けてあげなさい。人の役に立つことをしなさい」と、ポジティブ方向に言うべきだった。
後ろ向きの訓令が人を縮こませたり、つながりを分断したり、社会を後ろ向きにする作用をはたしていなかったか。
初出:2013年7月13日
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