多くの若者を死に至らしめた狂気の特攻作戦は何故はじめられ、戦争が終わるまで拡大し続けたか。 それは、ほかに手がなかったからだ。
では何故、ほかに手がないのにもかかわらず、戦争を終わらせられなかったか。 それは、戦争を終わらせることは、すなわち、現状維持からの大転換だったから、ではなかったか。
戦争末期の日本。 もはや勝ち目がないとしても、それでも、社会全体が、戦争継続を大前提に回っていた。 だとすれば、たとえ危機的な状況だったとしても、そこにはある種の、現状維持を是とする保守的なパワーが強く働いていた、と推定することが妥当だろう。 昨日と同じ今日、今日と同じ明日を綿々と連ねていきたい。 そう願う「空気」が、社会全体を覆いつくしていた、のではなかったか。 そしてそれが、「主戦派」とか「徹底抗戦派」とか言われるものの、土壌であったはずだ。
「主戦派」とか「徹底抗戦派」とか言われるもの、その正体はやや曖昧であるが、それは決して社会から遊離した存在などではなく、むしろ当時の社会、日本という大きな「ムラ」に、しっかりと根ざしたものであったはずだ。 そしてその「ムラ」をどうにかこうにかでも維持し続けるには、戦争を続ける必要があった。 そして、まともな戦力を消耗し尽くした日本に残されていたのは、特攻だけだった。
と考えると、特攻とは、日本という「ムラ」を維持し続けるための、いわば「人柱」であった、と言うことができるのではないか。
また、戦後、「戦争責任」が糾弾された。 それは、おそらくやはり、日本という「ムラ」を維持し続けるために、責任者を特定し、「ムラ」から排除する。つまり「村八分」をすることによって、悪かったのは「ムラ」ではなく特定の個人だったことにし、そうして「ムラ」の延命存続をはかった、とみることができる。 そこでも、別の「人柱」を立てることによって、「ムラ」は維持された。 私たちは悪くない、私たちはただ、騙されたのだと。
つまり、特攻を拡大せしめた「ムラ」は戦後も生き残り、「戦争責任」を他人に転嫁することで、その存続をはかっている、のではないか。 また、それはいまも、綿々と続いているのではないか。 戦中、戦争を推進し、戦争を終わらせることを阻み、多くの若者を死に至らしめた主体と、戦後、「戦争責任」を糾弾する主体とは、実は同一なのではないのか。 すなわち、誰かの戦争責任を糾弾する勢力こそが、戦争推進勢力そのものなのではないのか。
別の角度から捉えてみる。 「主戦派」とか「徹底抗戦派」とか、当時、好戦的だった勢力とは、つまりは、現状維持の勢力であった、と言うことができるだろう。 そしていま、現状維持を強く主張する勢力とは、いったい何か。 たとえば「戦争法案反対」を主張する勢力とは、現状維持を主張する勢力、とみることができる。 つまり、当時の現状維持勢力は好戦的な主張を繰り広げていたのに対し、いまの現状維持勢力は反戦的な主張を繰り広げている。 この二つの勢力は、一方は好戦的、もう一方は反戦的と、真逆な主張であるのだが、僕にはどうも、「危機感をかりたてる扇情的なフレーズ」の一点において、どうにも類似したものと思えてならない。
かつての日本は、「危機感をかりたてる扇情的なフレーズ」に付和雷同した結果、最悪の事態を招いたのではなかったか。 我々に求められているのは、付和雷同や、忖度の連鎖、つまりは、ある種の「和」ではなく、「個」ではないか。 連帯ではなく、孤独ではないか。 共感や共有ではなく、「空気を読んで笑うな!」(悪夢ちゃん)
ということではないか。
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