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      <title>ふらっとブログ</title>
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      <description>fratdriveよもやまコラム by MT</description>
      <language>ja</language>
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         <title>“ネット界”というハッタリ</title>
         <description><![CDATA[「ネット界で評判」だとか「ネット界で人気」だとか、はたまた「ネット上の世論」だとか。たとえばこんな。
<blockquote>民主党の代表選挙は、これまでに前例のない展開になってきた。新聞・テレビなどの大手メディアと、それ以外のメディア、特にネット上の世論が大きく分かれているのだ。
[ <a href="http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/4407">link</a> ]</blockquote>はたしてネット界とは何か、そしてネット上の世論とは何か。
インターネットにはさまざまなコンテンツやコミュニティが存在する。学校裏サイト的な掲示板もあるし、旅行や食べ歩きのブログもあるし、特定のソフトウェアに関するフォーラムもある。
これら全てを含めて「ネット界」「ネット上」というわけではなく、たいていは特定の部分を指している。「ネット上の有名人」という場合によく挙げられる人名があるが、彼らが認識されている世界といっていいかもしれない。
（ネットの有名人といっても、インターネットユーザーの中で彼らを知っているのはほんのごく一部だと思う。具体名を挙げればわかりやすいけど、ここでは出さない。…ええと１つだけ。勝間はわりと誰でも知ってると思うけど、切込隊長はネット上の有名人。「勝間vs切込隊長」がわかるのはネット界だけ）
インターネットにはいろんな小部屋があるけど、そのなかでも大部屋というか、広場みたいなものがネット界、という認識もあるかもしれない。多くの人に興味のある話題を扱うから広場なのだと。
しかし本当にそうなんだろうか。「ネット界」というのも、実はインターネット上に無数に存在する「小部屋」の１つにすぎなくて、「ネット上の世論」なんて、その小部屋での話にすぎないのではないか。
いまは、ネット上の世論は小沢支持だという。たしか去年、自民vs民主のときはネット世論は自民支持、ネットは右寄りだと言ってたと思う。
ほんとうにそうか。
小部屋で行われている、特定の（偏った、といってもいいかもしれないけど）人たちによる議論を、あたかもインターネット上の意見の大勢のように伝えたり、思い込んだりするのは、違うんじゃないのか。
たとえばその「ネット界」が、１万人程度の規模だったとする。小部屋としては大きなほうかもしれない。でも、インターネット利用者全体からみればほんとに少数だし、ネットにつないでいない人も含めた日本語圏全体からみたらいっそう少数だ。
いわゆる「ネット上の世論」と、より広い世論（←変な言い方だけど）が違うことはよくあるし、ネット上の世論がはっきり示した結果の通りに世の中が進まないことが往々にしてある（というか大抵そう）ことは、経験値としてあると思う。
（思うんだけど、たとえば政治とか社会問題とか、たしかに多くの人の関心事ではあると思うけど、それに対して、ネット上で意見を表明したりとかを、どれだけの人がするのかということについて考えてみると、ほとんどの人はそんなことしないはずだ）
いわゆる「ネット界」が居心地いい人は、そこにいればいいと思う。意見のあう人同士、わあわあやっていればいいと思う。でもそれは、社会一般に対してなんの影響力も持たない、ごく少数派のグループ内での盛り上がりだ。
ということを頭のいいいわゆる知識人が気づかないわけはないと思うし、気づいていて知らんぷりをしているのであれば、なかなか狡猾だなあと思ったりするわけだ。
…と、文章としてはまったく稚拙なままにしとくけど、ぼくはネット界だとかネット上の云々だとかに対して非常に懐疑的な意見を持っていることをここに記す。]]></description>
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         <pubDate>Wed, 08 Sep 2010 11:15:00 +0900</pubDate>
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         <title>報道の低質化</title>
         <description><![CDATA[<blockquote>今夏多発する熱中症死、エアコン嫌いのせいだとは思わない。少なくとも主因だとは思わない。暑さの質が変わったとも思わない。純気象問題ではなく、暑い町・暑い家を作り出した経済・効率優先の日本の問題で、天災ではなく人災だとぼくは思う。と思うのは、いま住んでる家が森に面する風通しのいい設計で、ある程度エアコンなしでも快適だから。前住んでた家はひどかった。
町に緑や土や水を増やし、風通しのいい家を推奨すれば事態は改善するのでは。エコでもあるし。というか温暖化ならやらなきゃまずいし。メディアがなぜそういう視点を伝えないのか。</blockquote>と、ぼくはツイッターで書いた。
（[ <a href="http://twitter.com/fratdrive/status/21957452269">link1</a> ][ <a href="http://twitter.com/fratdrive/status/21957724285">link2</a> ][ <a href="http://twitter.com/fratdrive/status/21957959771">link3</a> ][ <a href="http://twitter.com/fratdrive/status/21958371429">link4</a> ]）

お盆の渋滞予測報道についてはこう書いた。<blockquote>首都高も東名下りもガラガラ。帰省ラッシュビークという“見込み”報道は実態と違う。最近よくあるパターン。[ <a href="http://twitter.com/fratdrive/status/20955025764">link </a>]</blockquote><blockquote>今日の東名上り渋滞、事前予測と実態推移を比較。場所によっては渋滞ピークが予測よりも早く、全体的に抑制的（予測より渋滞激しくない）。明日もこの傾向が続くと見て計画を立てる。[ <a href="http://twitter.com/fratdrive/status/21137354277">link</a> ]</blockquote><blockquote>今日朝早くに帰省先を出たがほとんど渋滞なく昼には埼玉着。午後も東名大した渋滞なかった模様。昨日今日、この盆時期の高速渋滞予測は結果的大外れ。渋滞伝えるニュースも誤報に近い。ひでえ仕事だな報道。[ <a href="http://twitter.com/fratdrive/status/21228966520">link</a> ]</blockquote>

地デジについても不満がある。多くのデメリットをなぜ伝えないのか。テレビはともかく、新聞や雑誌も。

報道はいまや、プレスリリースを右から左に流すだけの思考停止機能化してしまったんじゃないだろうな。]]></description>
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         <pubDate>Wed, 25 Aug 2010 09:41:59 +0900</pubDate>
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            <item>
         <title>「なりたい自分になれるはず」について</title>
         <description>なりたい自分になれるはず、というのは、ほとんどありえないだろう。
なるようにしかならない、というのが、現実的な線だろう。
「なりたい自分になれるはず」というフレーズや考え方がいつからどのように登場したのか。戦時中はありえないから、きっと戦後のある時期からだろう。勝手な推測では、広告のコピーから始まったのではないか。つまり売りたい商品を買わせるために、消費者に刷り込んだ考え方ではないか。このフレーズを信じれば、なりたい自分になるために、消費者はどんどん（無駄な）支出をする。
がしかし、これはあくまで無責任な広告コピーであって、商品やサービスの購入をすることで（＝努力とかそういうことをショートカットして）なりたい自分になれるというのは、とても虫がいい考え方。ただ、ほとんどの人は、「なりたい自分になれるはず」という泡沫（うたかた）の夢にいっとき酔うために、ちょっと財布のひもをゆるめてみる程度だろう。酒を飲んで酔っ払うのと同じだ。やがて現実に戻って、現実に向き合って生きていく。でも、その夢から醒めない人はどうなってしまうのか。

ぼく自身は、子どもの頃に「将来の夢」を持ったことがない。と思う。少なくとも記憶にない。こんな大人になれたらいいなというぼんやりしたイメージはあったけど。もちろん、夢を持ち、夢の実現に向かって努力するのはいいことだ。だけどそれが、外圧的に与えられた夢だったら。売り上げアップという「企業の夢」を実現するためにバラまかれたものだったら。

戦後日本は企業社会だった、ということができると思う。地縁が解体し、“社縁”がそれにとってかわるようになった。かつては社内恋愛で結婚→出産のサイクルが促進されたし、会社がアイデンティティでもあった。いまもある程度、企業社会的構造は続いていると思う。“市民社会”が実現するとしても、それはもっと先のことだ。日本社会を支配しているのは企業だ（ちなみに企業はなかなか叩きにくい。政治や行政といった公の組織には記者クラブもあるし名目もあるし叩きやすいけど）。日本経済には内需拡大だとか消費回復とか言われたりするけど、「なりたい自分になれるはず」という呪文をかけた副作用の責任は誰もとらない。

…ということを、最近起こったとある痛ましいニュースから考えた。

「なりたい自分になれるはず」というのは戦後突如発生した、たんなる広告コピーではないのではないかという気もする。明治維新後の日本そのものではないか。一等国を夢見て、一等国に成り上がって、そこから転落していく過程。当時政府指導者層や軍中枢、官僚の彼らも、「なりたい自分（＝日本）になれるはず」と夢見たのではないか。知識人やジャーナリストも、技術者や科学者も、商人も、労働者や農民も、みんなが「なりたい自分になれるはずと思ったのではないか。国全体が同じ夢を見ていたかどうかはともかく。</description>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">2.column</category>
        
        
         <pubDate>Sun, 22 Aug 2010 11:25:55 +0900</pubDate>
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         <title>昔とは暑さの質が変わったのか。</title>
         <description><![CDATA[<blockquote>私が子どもの頃は気温が30度を超えると「今日は暑いねえ」と言ったものだが、今や最高気温35度、36度も当たり前になった。昔とは暑さの質が変わったのである。</blockquote>

これは今朝（2010年8月8日）、朝日新聞声の欄（9頁）に掲載された“「エアコンは体に悪い」見直そう”という投書。神奈川県藤沢市在住51歳男性から。

こういった話は時々見聞きするのだけど、ほんとだろうか。
と思ったので、<a href="http://www.data.jma.go.jp/obd/stats/etrn/index.php?prec_no=&prec_ch=&block_no=&block_ch=&year=&month=&day=&view=">気象庁の過去の気象データ</a>
から、ぼくの住む埼玉県熊谷の最高気温データを調べてみた。データがある1961年から、去年まで。

<a href="http://frat.jp/mt/images/graph.html" onclick="window.open('http://frat.jp/mt/images/graph.html','popup','width=640,height=395,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://frat.jp/mt/images/graph-thumb.gif" width="320" height="197" alt="" /></a>

確かに最近の最高気温が上がっているような気もするけど、昔も充分暑かった。「最高気温35度、36度も当たり前」なのは変わってないと思う。51歳男性が14歳だった37年前、1973には38.7度の最高気温だったし。男性が住む藤沢ではないけど、横浜では1962年に37.0の最高気温が出ている。

明治時代からの「日平均気温の月平均値」もある。７月・８月の平均気温値も、グラフにはしなかったけど、まあざっと見て25度前後って感じで、少なくとも大幅に上がっているようには見受けられない。

ということで、この男性が書いていることは正しくない。「昔とは暑さの質が変わった」とすれば、気象ではなく、現代の生活環境、たとえば家屋の構造だったり、緑＋土からコンクリートに変わったりして、実際の生活で感じる暑さが変わった、ということではないだろうか。]]></description>
         <link>http://frat.jp/mt/2010/08/post_209.html</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">2.column</category>
        
        
         <pubDate>Sun, 08 Aug 2010 14:09:26 +0900</pubDate>
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         <title>少数派の君たちへ</title>
         <description>インターネットが登場したとき、これは少数派の福音だと喜んだものだった。
リアルなつながりの中で同志が見つからなくても、インターネットの海を探していけば、どこかに同志と出会える。
具体的にいうと、アメリカの片田舎でDune Buggy遊びをしてるおっさんとダイレクトにコンタクトできることを知った衝撃。

ところがインターネットが普及し、誰もが使うツールになると、多数派のツールに変貌してしまった（ように見える）。
いわゆる「ネット界」は多数派の覇権を狙う人の良さそうな野心家たちの巣窟となり、多数派工作、同調圧力の雨嵐。

彼ら多数派の特徴は、その場にいる多くの同意を前提とした発言をする点。少数派が常にアウェーの風にさらされているのと対照的に。

多数派工作なんか興味ないし同調圧力に流されたくもない。インターネットはぼくにとってやはり少数派のツール、雑音にまどわされずに本来出会いたい人と出会いたい。

…という本筋をつい忘れがちになるので、改めて初心表明。</description>
         <link>http://frat.jp/mt/2010/07/post_208.html</link>
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         <pubDate>Wed, 07 Jul 2010 08:54:48 +0900</pubDate>
      </item>
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         <title>「何も引き受けようとしなかった無責任な世代」の僕</title>
         <description><![CDATA[誰がやったって同じだ。護送船団方式に慣れきって、痛みも責任も引き受けるつもりのない人たちがこの国の多数派を占めているかぎり。

「街の声」を聞くと時々腹が立つ。自分だけは特別[ <a href="http://fratdrive.tumblr.com/post/651374896" target="_blank">Link</a> ]なんて絶対ない。ぼくらは次の代に引き継いでいかなければいけないのだ。間違ったものを引き継いではいけないのだ[ <a href="http://fratdrive.tumblr.com/post/651572191" target="_blank">Link</a> ]。

逆円錐形の劇場。そこに鳩山さんは立っていて、オーディエンスに降りてこいと呼びかけている。ぐるっと囲んだ観衆は「お手並み拝見」とかいいながら高みの見物。火の粉が飛んでこない高い所に陣取って、見下して、ネタにして。

ぼくらは後の世代から、「何も引き受けようとしなかった無責任な世代」と評価されてしまうんだろうか。]]></description>
         <link>http://frat.jp/mt/2010/06/post_207.html</link>
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         <pubDate>Wed, 02 Jun 2010 13:53:07 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>首都圏の人口は全国の３割に満たない。</title>
         <description><![CDATA[前記事（<a href="http://frat.jp/mt/2009/12/3539.html" target="_blank">いま、日本は35歳から39歳が最も多い。</a>）につづく第２弾。

「<a href="http://www.stat.go.jp/data/jinsui/2008np/index.htm" target="_blank">平成20年10月1日現在推計人口</a>」から、首都圏（東京、神奈川、千葉、埼玉）と首都圏以外の人口をグラフ化してみました。（単位  千人）

<a href="http://frat.jp/mt/images/20091210data.html" onclick="window.open('http://frat.jp/mt/images/20091210data.html','popup','width=723,height=447,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://frat.jp/mt/images/20091210data-thumb.jpg" width="320" height="197" alt="" /></a>

首都圏人口は全国の27.4%と、３割に届きません。７割以上が首都圏以外に住んでいます。東京都だけだと全国の１割。

都道府県ごとにみれば東京都の人口がもっとも多いのですが、それでもわずかに１割に過ぎません。

]]></description>
         <link>http://frat.jp/mt/2009/12/post_206.html</link>
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         <pubDate>Thu, 10 Dec 2009 08:47:02 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>いま、日本は35歳から39歳が最も多い。</title>
         <description><![CDATA[<a href="http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/List.do?lid=000001059592" target="_blank">日本の総人口データ（5歳階級、推計人口(平成21年11月概算値) ）</a>をグラフ化してみました。

<a href="http://frat.jp/mt/images/data20091209.html" onclick="window.open('http://frat.jp/mt/images/data20091209.html','popup','width=986,height=599,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://frat.jp/mt/images/data20091209-thumb.jpg" width="320" height="194" alt="" /></a>

人口の多い年齢階級ベスト５は、
35-39歳	973万人
60-64歳	946万人
55-59歳	907万人
40-44歳	859万人
30-34歳	857万人
…高齢化社会と言われている通り、55歳以上も多いのですが、30代が意外と多いのにびっくり。

※総人口なので日本人人口ではないです。]]></description>
         <link>http://frat.jp/mt/2009/12/3539.html</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">2.column</category>
        
        
         <pubDate>Wed, 09 Dec 2009 10:12:12 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>日本は安全な国になりました的な統計</title>
         <description><![CDATA[交通事故が減っていることは<a href="http://frat.jp/mt/2009/10/post_204.html">以前に書いた</a>のですが、ふと気になって、犯罪の統計も調べてみた。

認知件数は平成14年に戦後最多を記録したが、その後連続して減少。
<a href="http://frat.jp/mt/images/H20_02.html" onclick="window.open('http://frat.jp/mt/images/H20_02.html','popup','width=766,height=589,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://frat.jp/mt/images/H20_02-thumb.jpg" width="320" height="246" alt="" /></a>

凶悪犯。認知件数も犯罪率も減少。殺人は平成19年に戦後最少を記録。
<a href="http://frat.jp/mt/images/H20_01.html" onclick="window.open('http://frat.jp/mt/images/H20_01.html','popup','width=714,height=584,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://frat.jp/mt/images/H20_01-thumb.jpg" width="320" height="261" alt="" /></a>

[ <a href="http://www.npa.go.jp/toukei/keiji37/h20hanzaitoukei.htm" target="_blank">平成20年の犯罪 - 統計（警察庁）</a> ]
（というか<a href="http://www.npa.go.jp/toukei/keiji37/PDF/H20_01.pdf" target="_blank">「犯罪の概況」pdf</a>）のほうが早いかな。

…ということで、おおむね減少傾向。安全になってることはとにかく喜ばしいですね。詳細はリンク先を参照。]]></description>
         <link>http://frat.jp/mt/2009/11/post_205.html</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">2.column</category>
        
        
         <pubDate>Thu, 19 Nov 2009 16:43:35 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>Twitterについての若干の危惧。</title>
         <description><![CDATA[Twitterは輿論か世論か。

少なくとも日本国内ではいまのところTwitterユーザーは限定的。一部の人しか使っていない状況から、輿論的空間と見ることができるかもしれません。

だけど、これがもし仮にひろく一般大衆のツールとして普及したらどうなるでしょうか。

Twitterは熟慮の末に紡ぎ出される責任ある理性的意見というよりはむしろ、反射的かつ情緒的なつぶやき（ホンネ）に向いたツールですから、本質的には世論的空間でしょう。

と考えると、Twitterの大衆化によって、「無責任かつ無軌道な煽動ツール」に変貌してしまう可能性があります（←いまはそうじゃないという仮定での表現）。その意味では、Twitterは危険性を秘めたツールであるかもしれません。と、自戒をこめて書き記しておきます。

もちろん、そうならないほうがいいに決まってますが。

なお、輿論と世論についてですが、『輿論と世論』を読むと、
・世論とは世上の雰囲気、責任ある輿論とは異なるもの
・輿論＝意見、世論＝感情
・輿論＝理性的討議を中核とする市民的公共圏、世論＝街頭での情緒的共感から生れる大衆的公共圏
…等と説明されています。

<iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?lt1=_blank&bc1=000000&IS2=1&bg1=FFFFFF&fc1=000000&lc1=0000FF&t=shuzaiyacom-22&o=9&p=8&l=as1&m=amazon&f=ifr&md=1X69VDGQCMF7Z30FM082&asins=4106036177" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe>]]></description>
         <link>http://frat.jp/mt/2009/11/twitter_1.html</link>
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         <pubDate>Sat, 14 Nov 2009 09:51:53 +0900</pubDate>
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         <title>運転免許更新で講師が嘘をついた。</title>
         <description><![CDATA[きょう運転免許証更新で運転免許センター（埼玉県鴻巣市）に行った。更新時講習で、講師が「交通事故の数は減少の兆しを見せない」といった主旨を語っていた。

おかしい。

以前、「<a href="http://fratdrive.net/diary/item_1045.html" target="_blank">「交通事故死者数は劇的に減少していた！</a>」と書いた（2007年11月05日）。

で、最新のデータを確認してみた。

<a href="http://www.npa.go.jp/toukei/" target="_blank">統計（警察庁）</a>から<a href="http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/List.do?lid=000001052162" target="_blank">平成２０年中の交通事故の発生状況</a>を見てみた。

<a href="http://frat.jp/mt/h20all.html" onclick="window.open('http://frat.jp/mt/h20all.html','popup','width=841,height=467,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://frat.jp/mt/h20all-thumb.gif" width="320" height="177" alt="" /></a>

これのどこから「減少の兆しを見せない」云々と言えるのだろうか。

講師が嘘をついた。]]></description>
         <link>http://frat.jp/mt/2009/10/post_204.html</link>
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         <pubDate>Tue, 20 Oct 2009 17:19:54 +0900</pubDate>
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         <title>流れゆく先は結局テレビ的？（属人的コンテンツ）</title>
         <description>いまネットの主役（？）はTwitterとSNS。いずれも「流れゆく」性質のものだ（いちおうフロー・コンテンツと言っておく）。

一方、２ちゃんは一見流れゆくように見えるけど実はそうじゃない。あれはブログと同じくストック・コンテンツ。

フロー・コンテンツは、流れる川に浮かぶバブルのように、水面に浮かんでは消える。浮かんでいるのは今だけ。井戸端会議のように、いつか消えてなくなる賞味期限つきのコンテンツ。

その意味を考えてみた。それぞれの発言じたいに価値があるんじゃない。発言している人じたいに価値や意味があるんだ。

つまりは属人的コンテンツ。「あの人が言ったから…」から、「あの人」の価値や意味が高くなったり低くなったりする。

どんな素晴らしい（もしくは下らない）発言があったかではなくて、それを言ったのは誰かで価値や意味が決まるということ。

結局、「誰」というのが価値評価の基準となるのが、ネットコンテンツの終着地点。なのかな。これは明らかに２ちゃんとは違う。そして、テレビによく似ている。</description>
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         <pubDate>Thu, 08 Oct 2009 21:25:20 +0900</pubDate>
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         <title>「つながる」への期待と絶望と</title>
         <description>「つながる」が一世風靡した時があった。あれは…ブログというワードが期待を込めて語られた時だったと思う。コメント、トラックバック。ブログは「つながる」ためのツールだった。

そして…mixiやfacebookといったSNSにtwitterと、「つながる」ツールはさらに進化した趣で、「さあ、つながろう」と期待をこめて呼びかける人も出てきた。

が、既視感にとらわれ、いっぽうで絶望的な気持ちにもなる。あの頃、少なくともぼくの試みは失敗に帰したから。

つながってみたら、期待とは裏腹な現実に打ちのめされた。落胆した。がっかりした。

でも、ぼくが間違っていたからかもしれない。期待のしかたが、違っていたのかもしれない。で、やっぱりぼくは、こりもせずにつながろうとする。

以前とは違う期待を模索しつつ。</description>
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         <pubDate>Thu, 08 Oct 2009 06:01:03 +0900</pubDate>
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         <title>ネット既得権（的なもの）</title>
         <description>インターネットは「オンデマンド」と「多様性」が最大の魅力だと思っている。既存メディア…といってもいろいろだけど、少なくともぼくがもっぱら働いているテレビメディアとはまったく異なるし、だからこそ面白い。テレビはピラミッド構造のいわば「△」、対するネットは頂点も底辺も存在しない、等価値のいわば「○」だと思っている。

世界には中心や頂点がある、という考えは、古いものだと思っている。たとえば東京と地方。これまでの価値観であれば東京が中心だったけど、かつて長渕剛が「とんぼ」で歌ったような「花の都、大東京」というイメージは、若い子を中心に薄れつつある。「ビッグになる→上京する」なんて馬鹿らしい、自分が生まれ育ったこの地元で夢を実現していこうよというのがこれからの主流の価値観になるだろうと思う。

たとえばステイタスとしてのクルマ。かつてクルマは豊かさのシンボルで、「いつかはクラウン」的な価値観が存在した。ぼくが免許をとった20年前は、貧乏な若者はミラージュやファミリアをまず手に入れて…みたいな構図があった。路上は一見平等に見えながら、実際には高級車が威張り、軽があしらわれるといったヒエラルキーが存在した。でも、いまの若い子は、そんな象徴としてのクルマの薄っぺらさに気がついてしまったのだろう、クルマ離れは止まらない。

かくして世界はフラット化していく。

が、フラットであるはずのネットに、山や谷を造成しようとする、あるいは造成したいと願う人々がどうやら存在するらしい。彼らの目標もしくはライバルは、既存メディアとくにテレビであるようだ。いずれはテレビにとってかわる存在になりたいらしい。テレビというピラミッドの最底辺（…よく言えば登竜門？）として位置づけられたいのか、もしくは今のテレビの一機能をそのまま置換したいのか。

たとえば、Twitterはインターネットらしいサービスでありながら、ライブ性をその特徴とする。それが多様にバラけているぶんにはいいのだが、じっさいには、ごく一部の「ネット有名人」にフォローが偏重している。そして、あたかも中心と頂点が存在することを前提としているかのような発言が散見されるような気がする。あくまで気がする、という程度で、具体的な指摘はできないのだが。そしてそれは、すでに「できあがった」、ブログ「村」的なコミュニティの構造をさらに固定化しているような、気がする。

あたかもそれは、市の指定業者が年を経るごとに癒着度合いを強め、新規参入の壁となるという、なんとも自民的な構造を想起させてイヤらしく感じる。

フラットでいいじゃん、とぼくは思うのだけど。

でもきっと、誰もがそれを意識的にやっているわけではなく、無意識のうちに、いわば集合知？的なものとして生まれ育ったものだろうと思う。みんなが熟成した気分、というべきか。たかが気分、されど気分。気分に抗うことは難しい。気分の正体もよくわからないし。でも、違和感があればそれを表明しておきたいと思った次第にて。

（これは特定の個人を指した言説ではまったくありませんので、決して誤解なさらないように。ぼくはトレンド的なことを指摘したいだけで、他意はありません）

※さて今日は衆院選の投票日。どうなることやら。</description>
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         <pubDate>Sun, 30 Aug 2009 16:44:47 +0900</pubDate>
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         <title>浮気な集客ツール便乗の危険</title>
         <description>映画のロケが各地で宣伝に利用されるようになって久しい。
いや、最初からそういうものだったかもしれず久しいかどうかはっきりわからないけど。
なになにという映画がどこそこで撮影されました、という謳い文句で集客する。映画という集客ツールに便乗しているわけだが、しかしただ映画が撮影されたというだけで客が呼べるというのはどんなもんか。映画は宣伝道具に成り下がってしまったのかと、まあ映画ファンでも何でもないんだけど。

映画に限らない。テレビでもそうだ。ドラマに限らず、テレビが取材に来ました的な宣伝文句で集客をはかろうとしたりする。

「飛んで火に入るＮＨＫ」…これは実際に目にしたフレーズ。

でもそれでほんとにいいんですかね。テレビにしろ映画にしろ宣伝メディアとして利用しうるし、箔付けにも利用しうるんだけど、それでやってくる客って多くは不特定多数、浮気な浮動票。そこから固定票をつかむ糸口にするという考えがあるにしても、いつしかそれを忘れ、いっときの集客にうつつを抜かし、気がついたら何も残らない、ってことになりませんか。</description>
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         <pubDate>Mon, 03 Aug 2009 07:49:01 +0900</pubDate>
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