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ベビーカーは閉塞日本の象徴

(初版日:2002年09月26日)

<last updated:

街中にベビーカーを押した母親が闊歩するには、社会的条件が必要だ。まず、一人っ子が多いということ。2人以上の子供を連れて出かける場合、ベビーカーはかえって邪魔になる。

そして、渋谷の歩道をベビーカー軍団が横に広がって歩くといった、母親の社会性に欠けた傍若無人な態度から、現在母親は働いておらず、子育てに専念していることがうかがえる。核家族で、夫は仕事に行っている、母は一人っ子のわが子と2人だけの家で過ごすことが多い。いわゆる母子カプセル状態だが、社会から隔絶されたここでは母の存在は絶対的で、子供の重要性も絶対的だ。その状態を、そのまま渋谷の歩道に持ち込んでいると考えられる。

彼女らは「社会がやさしくない」と言うかもしれないが、社会とは、自分がワンオブゼムになる場所であって、あなたを特別に扱ってくれる社会などはない。社会で大事なのは(相対的な)関係性であって、わたしにデメリットよりメリットが多く与えられるよう、いかに他者との関係性を築いていくかという不断の努力をお互いがすることが必要だ。つまり、ただ「子供を連れてて大変なお母さん」という基準で社会が絶対的に親切にしてくれる、親切にしてくれなければならないと思うのは単なる甘えであって、親切にしてもらえるよう、周囲に気を配り、関係性を良好に保つ必要がある。

関係性というのはたとえば、テレビ番組の制作にあたって、食糧庁に電話をして年間のコメの在庫を取材するのは、国民の知る権利にこたえるためであり、行政としては情報を開示するのが義務であるから、と考えると、「年間のコメの在庫を教えなさい。***-****の番号にfaxで送りなさい」とだけ言えばいいのであるが、いくらなんでもそれはあんまりで、「お忙しいところ恐れ入りますが、(ここで番組内容などを伝える)、そこで、1年間のコメの在庫をですね、お教えいただければと思いますが。(ここで若干のやりとりがあって)もしできましたら、faxでお送りいただけませんでしょうか」等々、非常に低姿勢な態度なのだ。

話がずれた。ベビーカーの話だった。ベビーカー闊歩母が、家庭の絶対性をそのまま渋谷の歩道に持ち出すという無神経なことができるのは、ふだん、社会との関係性が途絶されているからである。それは、母親が働いていないからである(働いていても社会性のないのはいるが、それはそれでおいといて)。それは、「母は家庭、父は仕事」という、戦後高度経済成長時代の分担体制を、いまだに引きずっているのである。

しかしこの分担体制は実は非効率的である。家庭単位では、家庭の仕事はなんだかんだ言ってもそんなに忙しくなくて(朝6時に近くのホテルにチェックインして仮眠をとって、10時にまた職場に戻るという生活よりも、明らかに忙しくない)、忙しさに偏りが生じている。父親は長時間労働で単位時間あたりの効率は落ちている。その仕事量を多少母親が受け持ち、「母は家庭+ちょい仕事」「父は仕事+ちょい家庭」のほうが、健全な分担体制である。母の「引きこもり」も解消できるし、父が家庭に多少はいるほうが、子供にも好影響をおよぼす。母親のチャット熱もおさまるかもしれないし、出会い系サイト経営者は打撃を受けるだろう。

また、社会単位では、これまでの「終身雇用・年功序列」の正社員を多く抱えているより、少ないコア、たくさんのフローで回したほうが、人件費は安くおさまる。となると、「コア」からあぶれたフローな男(つまり、私のような存在)があふれる。これまでの「コアな夫+専業妻」から、「フローな夫+フローな妻」が主流になる。社会全体が効率化し、新規産業への対応もスピーディーになり、つまり活気ある社会になる。また、選択肢が多様化することで、NPOやボランティアなどに身を投じる人も増えるだろう。社会は健全化する。

…というような現状になっていないことが、ベビーカー闊歩母からわかる。見た目、颯爽と活動的でオシャレな母、という演出かもしれないが、実は旧価値観・旧体制をひきずった、いかにもいまの日本の閉塞感を象徴するような、やりきれない風景なのである。

あとさあ、思うんだけど、赤ん坊じゃないんだから、ベビーカーで効率的に運ばれてないで、自分の足で歩けよ。足も丈夫になんないし、そのうち、「子供の可能性/選択肢を広げてやりたい」という決まりきった美辞麗句のもと、じつは母親の自己実現というエゴイスティックな目的でいろんな習い事でスケジュールいっぱいになって、「**ちゃんがこんなに立派な人間になれたのは、**ちゃんの自発的な努力の賜物じゃなくて、お母さんが大金はたいていろいろやってあげたからなのよ。あなたは小さい時から自分で歩こうとしない子だったから、お母さんがここまで運んであげたのよ、そうベビーカーに乗ったままじっとしていた、小さい頃のあなたみたいにね」などと、恩着せがましく言われてしまうぞ、推定2〜3歳児の君!