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Hello,again

「Hello」(ヘローではありませんハローです)とは、fratdriveが学生時代に作っていたミニコミ誌の名前です。創刊号の赤字を一身に背負ったこと、わずか2号で廃刊になってしまったこと、「こんなのミニコミじゃない」とミニコミ書店のおじさんにけなされたことなど…、今となってはいい思い出です。当時はミニメディアの可能性だとか透明なメディアだとか、血気盛んにわめいていて、2号目では「おしゃべり情報誌」というコンセプトを打ち出しました。つまりノーコンセプト、なんでもかんでも言いっぱなしというスタイル。その「Hello」がいま!ここによみがえりました。
*新規コラムは「ふらっとブログ」に書いています。
(最終改訂日:2005年5月31日)

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─目次─

()内の年月は原則として初版のものです。

テーマ:メディア

メディアが編集した情報を一方的に享受するだけの時代から、たったひとりでも情報発信ができる時代に変わると同時に、これまでメディアが背負ってきた、責任、義務、モラルといったものをも、ひとりひとりが引き受けなければならなくなりました。メディアの問題は、わたしたち自身の問題です。(2002年11月27日)

メディア・インサイダーの“生活感覚”(2002年10月)

テレビ屋などのメディア制作者にいちばん欠けているものは、生活感覚なのではないだろうか。フツーの人と同じようにフツーに感じ、フツーに生きる。そういう感覚が、多くのメディア・インサイダーには、ないように思う。[ 記事全文 ]

おおきな井戸端会議(2002年09月)

どんな死に方にしろ、遺族の悲しみは同じはずだ。衝撃的な事件で死のうが、交通事故で死のうが、悲しみは変わらない。大勢の人間が一斉に死のうが、ひとりの人間が死のうが、悲しみは変わらない。[ 記事全文 ]

“民意”にさらされるテレビ番組(2002年09月)

地方自治で、“民意”の風が吹き荒れているが、風は政治の世界にとどまらない。テレビ番組の制作においても、同じ風が吹いているように思う。[ 記事全文 ]

コンテンツは原則タダである(2002年09月)

コンテンツ、つまり、文化的表現物というか、創作物というか、つまり、小説、音楽など、これまで商業ベースで消費されてきたものは、ほんらい、タダである。[ 記事全文 ]

活字は文化の中枢ではない(2002年09月)

図書館に行く用事があったので、ついでに何か借りようかと思ったが、どうせ読まないと思ってやめた。本屋に行っても、定期購読している雑誌は買うが、それ以外にパラパラ見てみようかという気もあまり起きない。[ 記事全文 ]

裸の王様(2002年06月)

 

既存メディアは、すでに裸の王様ではないのか?情報ソースとしての重要性や信頼性、人々の意識に占める比率、世論を形成する力、社会的権威や職業的ステイタス、これらのいずれもが、相対的な地盤沈下を起こしているにもかかわらず、[ 記事全文 ]

なぜ本を出したがるのだろうか(2002年06月)

テレビ屋は、本を出したがる。それはなぜか。インターネットの登場以来、活字の実用的価値は相対的に低下しているのは間違いないといっていいだろう。[ 記事全文 ]

ホントのところ、どうなんだ?(2001年08月)

ホントのところ、どうなんだ?私の興味は、この1点に尽きるように思われます。高校生のとき、こう思っていました。たとえば「この潜水艦の長さは何メートルです」とニュースが言う。[ 記事全文 ]

目ざすのは“ケ”だ!(1999年11月)

学生時代に専攻していた社会学に、「ハレ」と「ケ」という基本的な概念があります。「ハレ」はお祭りとかお正月などの非日常的祝祭空間(時間)、「ケ」はいつもの畑仕事といった日常的空間(時間)のことです。[ 記事全文 ]

科学に気をつけろ(1999年10月)

よくわからないけど何かそれっぽい科学。われわれを覆い、惑わせ、右往左往させる。それはわれわれを相対的価値観の苦悩と虚無に陥れた。最先端の宇宙物理学も、遺伝子工学も、ポリフェノールのワインブームも、みのさん番組の健康情報も、あやしいダイエット法も。[ 記事全文 ]

テーマ:その他

 

東京ランド構想(1999年10月)

東京は世界最大の規模を誇る大都市だ。 これ以上に拡大できない。 かりに拡大できたとしても、巨大すぎて大変だ。ただでさえ、狭い空間にひしめきあっている。 [ 記事全文 ]

「産む性」から「消費する性」へ(2004年02月)

戦後、女性は大きく変わった。結婚しなくなった。結婚年齢が高くなった。子どもを作らなくなった。出産年齢が高くなった。産む子どもの数が減った。産んだ子どもに手をかけなくなった。[ 記事全文 ]

タフでなければ(2003年12月)

いまの20代30代が、フリーターだの引きこもりだのパラサイトシングルだのとやってられるのは、親に金があるからだ。親に金があるのは、高度経済成長の遺産のおかげだ。[ 記事全文 ]

選択肢がたくさんありゃいいの?(2003年12月)

たくさんの男(または女)とつきあった女(または男)ほど、幸せになれるか。[ 記事全文 ]

ベビーカーは閉塞日本の象徴(2002年09月)

街中にベビーカーを押した母親が闊歩するには、社会的条件が必要だ。まず、一人っ子が多いということ。2人以上の子供を連れて出かける場合、ベビーカーはかえって邪魔になる。[ 記事全文 ]

モノづくり(2001年02月)

葉ものを中心に野菜が高騰しているが、地元農協の販売所は大盛況である。ここではスーパーの半値で野菜が買える。おまけにとれたて新鮮。朝採った野菜を生産者自らが軽トラで持ってきて、棚にならべていく。[ 記事全文 ]

モノづくりの心(1999年11月)

コーヒーカップを買った。これまで使っていた益子焼きのコーヒーカップを落として割ってしまったので、いつもコーヒー豆を買っている店で、このコーヒーカップを買った。[ 記事全文 ]

日本の向こうに1999年10月)

とくに日本の行政を批判するとき、よく「外国では」と言われる。ここでいう外国とはもちろん、南米やアフリカやインドやトンガ王国ではなく欧米諸国のことだ。[ 記事全文 ]

商品の世紀(1999年10月)

第二次大戦後の20世紀は、「商品」の時代だった。 この時期はテクノロジーとマスメディアが急激な発達を遂げ、 それによって人々の生活は大きく変わった。[ 記事全文 ]

夫はリストラ、妻は働く時代とは(1999年10月)

いままでは大勢のコアがいたが人件費がかかりすぎるので、 少しのコアに、大勢のフローという体制。安くあがる。仕事に充実感を感じる人は、ごく一部の「コア」に絞られる。[ 記事全文 ]

老人天国を目指せ!(1998年12月)

じいさん・ばあさんになったら、そりゃまるで極楽!だったら、老後の心配なんかなんにもないから、ガッチリためこんで老後にそなえる必要がない。だったらバンバン使ってしまえ、ということになり浪費に火がつくことウケあい。[ 記事全文 ]

地球温暖化バンザーイ説(1998年12月)

先日ある本を読んで「地球温暖化」はもしかしたら良いことなのではないかと思った。[ 記事全文 ]