どんな死に方にしろ、遺族の悲しみは同じはずだ。衝撃的な事件で死のうが、交通事故で死のうが、悲しみは変わらない。大勢の人間が一斉に死のうが、ひとりの人間が死のうが、悲しみは変わらない。なのになぜ、大勢の人間が犠牲になった衝撃的な事件ばかりがクローズアップされるのか。
人々の耳目を集めることしかニュースにならないのは、近所のおばちゃん同士の井戸端会議と同じだ。ハッピーな話より、悲惨な話のが盛り上がるのも、井戸端会議と同じだ。ニュースの本質は「おおきな井戸端会議」。
これまで、どれだけの方が交通事故で亡くなったか。正確には調べていないが、警察庁ホームページにある統計グラフから、戦後57年間で約57万人が亡くなっていると思われる。これだけの大惨事、なぜ井戸端会議での扱いが小さいのか。
ごくありふれた交通事故でたった一人が死のうが、航空機が高層ビルに激突して大勢の人が死のうが、それが誰かの不注意だろうが政治的意図だろうが、残された遺族の悲しみ、やりきれない思いは、まったく変わらないはずだ。
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