テレビ屋などのメディア制作者にいちばん欠けているものは、生活感覚なのではないだろうか。フツーの人と同じようにフツーに感じ、フツーに生きる。そういう感覚が、多くのメディア・インサイダーには、ないように思う。世間の“あぶく”を食ってる稼業であっても、情報を伝える側でも、いや、情報を伝える側だからこそ、フツーの生活感覚が求められるはずだ。独身者は独身者なりに、既婚者は既婚者なりに、そして子持ちは子持ちなりに、それぞれの生活の中から実感するものがあるはずだ。生活の実感を見失ってしまうのは、危険極まりないことだと思う。
忙しすぎることも、原因のひとつかもしれない。その場合には、あえて、仕事のペースを落とす努力も、必要ではないかと思う。ただ、日々の生活に興味がないから、忙しく仕事をし、生活なり家庭なりを省みないメディア制作者も、多いのではないだろうか。
戦後、日本は、「男は仕事、女は家庭」という分担を明確にすることで、経済の効率化をはかってきた。しかし、経済の発展が必ずしも個々人の幸せにつながらなかったのは、一方では、生活実感を喪失した男が、ひたすら「会社のため」という目的のみに働き、それが結果的に、われわれの社会を間違った姿にしてしまったのではないだろうか。会社のためだけというのは、社会からすれば間違った目的意識で、社会の最小構成単位である家族、あるいは地域社会、あるいは国家、あるいは世界全体のことを、バランスよく視野に入れ、その中で、会社はどうあるべきか、会社の構成員である私はどう行動するべきなのかを判断していかなければならないのではないだろうか。
ぼくは常に“フツー”とは何か、立ち位置を模索しながら生きていきたいと思っています |