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“民意”にさらされるテレビ番組

(初版日:2002年09月09日)

<last updated:

地方自治で、“民意”の風が吹き荒れているが、風は政治の世界にとどまらない。テレビ番組の制作においても、同じ風が吹いているように思う。

これまでは、民意、つまり「番組を見る一般大衆の生理はこうだろう」と、制作者側が推測して、番組を構成・演出してきた。

しかし最近は、制作者側の推測に反して、一般大衆側が番組への不満を述べ、具体的に異をとなえることが、増えてきたように思う。

マスに見られることを前提とするテレビ番組を制作する者は当然、マスに見られることを常に念頭において制作をおこなっているが、一般大衆にはそういった意識はない。だから、仮にごく一部の一般大衆の意見にしたがって番組を制作したとしても、一部の共感を得るだけで、大方の視聴者に納得してもらえるような一般性を獲得することは、無理だろう。同じメディア制作の立場にある雑誌編集者などでも、おそらくテレビ番組を作ったらきわめて視聴対象の限定されたものになるのではないか。

とはいえ、だからといって、シロートが番組を語るだとか作るなどははなから無理と切り捨てて、これまで通り、制作者のいわば思い込みのままに、番組を作っていって良いのだろうか。そういう作り方で、テレビ番組は今後も成立しうるのだろうか。

もちろん、多くの視聴者の意見をそのまま取り入れていけば、ばらばらな、統一感のない、支離滅裂な、わけのわからない、何を言いたいのかわからない番組になるのは、間違いない。声の大きい視聴者はたいていその問題に深く通じている人で、問題の掘り下げが甘いと指摘し、内容を専門家でも納得できるようにしていくと、今度は、声のあまり大きくない、でもより多数の視聴者から、何を言っているのか全然わからない、と文句が出る。そういう状況を充分に想定した上で、でもあえて、これからは、そうした“民意”を反映させていかなければ、テレビ番組は成立しえないのではないか、少なくとも、民意を無視したテレビ番組はもはや信用されないのではないか、そんな気がする今日このごろです。