マスコミでとりあげられるのは、いいことばかりではない。デメリットもある。批判的にとりあげられる場合は言わずもがなだが、好意的にとりあげられる場合でもそう。
たとえばタレント、有名人。「時の人」となったその瞬間はいい。しかし多くはその後、凋落する。「あの人はいま」で現状を追跡取材され、哀れを誘ったりする。生涯を無名で過ごしていれば決して味わわなくても済む悲哀。有名を維持できる力のある、限られた一部のひとだけが、そのメリットを継続的に享受できる。だから、「有名になりたい」なんて思わないほうがいい。
店も商品も同じ。マスコミとは、不自然かつアブノーマルな状態を生み出し、それを瞬間的に消費していく装置。それに耐えられるヒトやモノは、そう多くはないはず。マスコミに限らない。新聞折込チラシだって構造的にいっしょだ。チラシに頼らない継続可能な商売のほうが健全だ。
これまで企業や行政は、マスコミを使った広告宣伝を一方的に牛耳っていた。CMを打つという直接的な方法に限らない。記者クラブや取材対応などを通じた情報提供も、りっぱな広告宣伝だ。それに対して市民の間にも最近、マスコミとのパイプを作って対抗しようとする動きがある。そこまで大げさでなくても、一般的に、マスコミでとりあげられることを無批判に歓迎する傾向が強い。影響力は絶大だからだというのだ。
たしかに影響力は絶大だ。そのパワーが必要な場合もある。しかし、劇薬だ。ものすごい利益を生み出す一方で、ものすごい不利益も生み出す。そんないびつな装置に、みんなで殺到しているさまは、明らかにいびつだ。取り返しのつかないほどの痛い目に会う前に、ありもしない夢は捨てて、コツコツ地道にやったほうがいい。
無批判で一方的な広告宣伝をマスコミでばらまく。巨額の利益が生まれる。そこにぶら下がり、甘い汁を吸おうとする者が群がる。荒稼ぎした者の勝ち。ひとりひとりの損は大したことないかもしれないけど大勢の損した人と、その損を束ねてかっさらう一部の人。けっして正常な状態とはいえない。
(必ずしも損とは言えない場合もあるが、たとえば、AとBという2つの商品があり、きっちり比較検討すればBのほうが自分に合った商品であったとしても、Aの広告宣伝が巧妙だったためにAを購入してしまい、買ったあとでBにしとけば良かったと後悔するならば、Aを買ったのは損だったと言えるのではないだろうか?)
健全な批評を内包した広告と、適正規模な利益で継続可能な商売。商品やサービスを買う消費者もふくめて、みんながハッピーになれるほうが、いいに決まってる。
たとえば旅行ガイドブック。たくさんの見どころや、お店が紹介されている。地元観光協会のパンフと見まがうような、批判精神のかけらもないガイドブックばかりが、ビジュアルの良さとか情報量の多さとか、二次的な価値の差で競い合っている。ガイドブックの本文(広告ページではないという意味)に書かれた宣伝文句を100%盲目的に信用する人はまさかいないだろう。底が割れているのだ。それでいいのか。編プロやライターは、効率的に仕事が進めばそれでいいのか。観光協会や取材された店は、歯の浮くようなセリフを並べただけの文章が、自分たちにとって最終的にメリットがあると、いつまでも信じ続けるつもりか。温泉業界は多少は懲りてるかもしれないが、全体的な構造は白骨問題以後も変わっていないだろう。そろそろ、観光客つまりガイドブック購入者がハッピーになれることを最優先すべきではないのか。
ここのところ、何がしかの仕事や活動をしている個人や小さな団体などから、「宣伝してほしい」「宣伝したい」という要望がときどき寄せられる。大抵はそんなにダイレクトな表現ではないのだが、要するにそういうことだ。それに対してどう対応したらいいのか、正直、悩んでいた。難しいのだ。彼らは従来マスコミが育ててきた視聴者や読者そのままであって、無批判な広告宣伝こそが利益を生むのだと頑なに信じこんでいる。ちょっとでも批判がましいことを書いたら、きっと怒るだろうなあ。怒るとかいう前に、個人や小さな団体にとっては、ちょっとした傷が致命傷になることもあるので、マスで伝える場合には、かなり神経を使うのだ。下手に批判すると社会的に抹殺することになってしまう。そんなビビリ感もあった。
でも結局、
コンテンツの品質と信頼を第一に、対象におもねることなく、創造的な批評によって本来的な「広告」(=いいものはいい)を実現していきたいと思います。
(ふらっとアーカイブスとは)
という結論に。現行の旅行ガイドブックのような無批判な広告宣伝行為は、ぼくにはできない。なぜかというと、ぼくの制作するコンテンツの品質と信頼をそこなうことになるから。もちろん、いいものはいいのだから、ぼくが「いい」と判断したものは「いい」と言うし、その責任は負う。けれども、自分がいいとも思えないものを、偽って「いい」とはいえない。「ウソつかない」というのは、品質維持の最低ラインであって、それがなければ信頼は得られない。
という方針ですべからくやっていきますのでよろしく。