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「ウェブ番組」発想の経緯と、その根底にある考え方

テレビ番組をインターネットに再現するにはどうしたらいいだろうか…。「番組市場」の発想は、じつはTV⇒WEBのベクトルから生まれたものです。(初版日:2001年06月13日)

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あるテレビ番組で、番組制作の仕事に携わりながら同時に番組ホームページの制作をしていた時のことです。視聴者の皆さんから、再放送を求めるメールがたくさん送られていました。その番組はまだ立ちあがったばかりで、定期的な再放送枠がなかったのです。

私は、ひとりでも多くの視聴者の方々にその番組を見てもらいたいと考えました。ウェブで流せばいいじゃないか、と思いました。でも、放送した番組そのものをウェブで再放送することは、局内規定で許されておりません。また、ビデオ化でも同じ問題がありますが、たとえばどこかから調達してきた映像などは放送、せいぜい再放送までの前提で契約をして使用料を払っているので、別の用途で使用するにはふたたび契約をしなければなりません。そういう面倒な問題をひとつづつクリアしていく必要があります。

では、と考えました。放送したそのまんまでウェブで流さなくても、いいじゃないか、と思ったのです。バラバラにすればいいんじゃないかと。

番組を構成する要素は、以下のようなものです。

  • ロケで撮影してきた映像(インタビュー、何らかの出来事・場所・事件事故、その他雑踏とか建物の外打ちとかある街の俯瞰などなど)
  • スタジオで収録した映像
  • 資料映像
  • 接写資料(写真、文書、その他ブツ)
  • 映像をつなぐ「構成」
  • ナレーションやキャスターコメント用の原稿
  • ナレーション音声
  • テロップ
  • CGやフリップで提示するデータ等
  • タイトル音楽、エンディング音楽
  • 効果(効果音や音楽)
  • オープニング映像、エンディング映像
  • タイトルコール
  • その他、番組の構成を支える情報、データ

まだあるかもしれませんが、私がかかわってきた番組では、こんな感じだと思います。これを見ていくと、構成要素はいくつかに分類できます。

  • 動画
  • 静止画
  • 音声
  • テキスト
  • その他データ

これらはいずれも、そのまんまウェブに配置することが可能です。ウェブではわざわざ完パケにする必要はない。動画はシークエンスごと、カットごとに順番に並べればいい。写真や文書はわざわざ接写しないでも静止画でのせればいい、映像にかぶせる音声は、動画の横に配置したっていい。テロップやナレーションの原稿はテキストデータでのせればいいじゃないか。グラフや表などのデータは別ページに置いて、必要に応じて見ればいい。

また、こういう形にすることで、やりようによっては局内規定や、著作権・使用料・肖像権などの問題をクリアできるかもしれない。全部の映像を流すのは無理にしろ、掲載可能な映像はある。とりわけ、こちらで撮ったものなら取材先の許可さえとれれば大丈夫だ。あとはいくつかのスチール、ナレーション音声、そしてテキストでつないでいけばなんとかなるんじゃないか。そう思いました。

利点もあります。まず、完パケにする必要がないので、尺で悩まなくてもいい。「この映像、もったいないなあ」とか「このコメントじゃ舌足らずだけどな」とか言いながら削る必要がない。また、「このおっちゃんのインタビューはすごく面白いけど、この構成には入らないなあ」というとき、これまでは切っていましたが、これなら「サイドストーリー」として別にリンクを張ればいい。

なにより、番組の素材がそっくりそのまま利用できます。これまでリサーチャーとして、膨大なデータや写真や文書やブツや、いろんなものを番組のために集めておきながらその多くが「ゴミ」としてまったく活用されないという経験を多く重ねてきた身としては(これは別にくさっているわけではないですよ。いい番組を作るには必要なことです。ロケで撮ってきた映像だって編集して編集して、ほとんどはOAされないのですから)、それを有効活用できるというだけでもうれしい。視聴者の皆さんにとってもそれは有意義なことだろう。より深く楽しみ、知識を得ることができるはずだ。

結局、そんなことをしているヒマがまったくなく、そのうちに私はその番組の仕事を離れました。この構想は、たんなる私の頭の中での妄想として終わってしまったわけですが、その後も常に私の脳裏にこれがありました。一方、ブロードバンドだストリーミングだと喧伝されるインターネットでの映像配信には、つねに違和感を持っていました。なにもわざわざ、と思うのです。なにもわざわざ、完パケにする必要ないじゃないか。テレビ番組は決まった尺にぴったり合わせて完パケにしなきゃ放送できないからああなっているんであって、その真似っこをウェブがやる必要はどこにもない。そもそも、ウェブページは「作品」である必要はないし、作品としてまとまっていなくても面白い・役に立つウェブはいくらでもあるのに、映像単体で「作品」に仕立てる意味がどこにあるのか。タイトルテロップなんて映像のあたまに入れる必要はないし(何書いてあるかわからない)、ナレーションをかぶせる必要もない(何を言っているのかわからない…)。

同一の素材をどう料理するか。テレビはそれを編集していろいろかぶせて「完パケ」にすればいい。ウェブでは素材を素材のまま配置して見せればいい。表現手段に適した方法をとればいい、と思うのです。見る人は、全部の素材を頭から最後まで順番に見る必要はない。見たいシークエンスの動画だけ見て、テキストを読んで、時にはナレーションを聞けばいい。

かつて私は仕事である人に「素材主義」だと言われました。多分に批判を込めての発言だったと思います。しかし、僕は素材主義で良かったと思っています。パッケージ主義は、これから通用しなくなります。

いちおうテレビ屋のはしくれとして10年以上も番組制作の現場にいて、その経験が発想の源になっています。だからこのコンセプトには自信を持っています。それに、すでに放送済みの番組を効率的に再利用するには、いい方法だと思います。

以上、私がウェブ番組というコンセプトを発想したキッカケと、その根底にある考え方を書きました。