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「オープンソース番組」と「ウェブ番組」というコンセプトの提唱

(初版日:2001年06月11日)

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「ブロードバンドでストリーミング」への疑問

ブロードバンド時代にストリーミングへの視線が熱く注がれている。だが、ストリーミングはさほど成功しないのではないか。ブロードバンドになればストリーミングしなくてもダウンロードでじゅうぶんだ。気に入った映像を何度でも楽しめるし、自分なりのライブラリーを作ることもできる。ハードディスクの容量が飛躍的に大きくなっているので、容量的な問題もない。

唯一あるとすれば、ストリーミングならコピーが防げるというビジネスサイドの要請だろう。

でも、コピーしたっていいじゃないか、コピーもできない映像に価値はあるのかとも思う。好きなアーティストのライブをネット中継で見られたら、次はそのライブをダウンロードしたいと思うのは当然のことだ。

パッケージ型への疑問

これまでメディアは情報の送り手から受け手へ、パッケージ商品として提供されてきた。だが、インターネットはそうしたスタイルをくつがえした。それは、活字メディアを見るとよくわかる。これまで、レファレンスと保存性にすぐれたメディアは印刷された活字だけだった。その優位性のもとに、活字産業は成立してきた。作家という職業が成立してきた。印刷される活字の原稿を書くのはごく限られた人々の特権行為だった。

しかしもはや活字産業が隆盛をきわめた時代は過去のものになろうとしている。ブックオフに行けばそれを実感できるはずだ。活字はたんなる消耗品、消費されるにすぎない。原稿を書くだけで収入を得られた幸せは時代は終わった。文字を書きそれを発信する行為は、誰にでもできるようになった。また、職業として文章を書く人々が常に正しく知識も豊富だという幻想も打ち破られた。いまウェブには、対価を求めることなく、「プロ」より信頼のおける情報を発信しつづけている人がたくさんいる。彼らは著作権に対してまったく無防備に、自らの知恵をさらけ出し続けている。「プロ」が知的所有権などと既得権を主張している間に。

そうしたウェブでの無償の情報発信は、文章が必ずしも「パッケージ」つまり作品である必要はない、という真実を明かにした。自分が知っていること、自分が書けることだけ書けばいい、それは巨大なWWWの素材であればいい。そして知りたいことを探す人は、あちこちに散らばっている素材を自分で集めてこればいい。

それは映像にもあてはまる。ウェブで流通する映像は、必ずしも作品でなくてもいい。オープニングがあってタイトルがあって効果音やナレーションが入って、映像はきちんと編集してあって、トランジションが加えられていて…というものである必要はない。それどころか、そうした演出を素材に加えることは、邪魔ですらある。

よい映像とは何か。それは、面白いものを撮ってある映像である。つまらない素材を演出で面白く見せかけた映像ではない。映像の大衆化とは、みんながカメラを手にすることで面白い素材がどんどん撮影されるという可能性であって、みんなが押し着せの演出効果を競い合うことではない。

最も価値のある映像は、面白い未編集素材である。編集済みの映像は使いまわしがきかない、一回こっきりの価値しかないが、未編集素材なら何度でも使える。いろんな意図のいろんな作品、いろんな演出に使うことができる。ケネディ暗殺の瞬間を撮影した映像は、それがシロートの撮ったヘタクソな映像であっても、目の飛び出るような値段で売られている。面白い映像とはそういうことである。編集など無意味だ。

オープンソース番組という考え方

ここで私は「オープンソース番組」という新しいスタイルを提唱したい。

WWWのいたるところにユニークな未編集素材が散らばっている。それは、世界中の「アマチュア」が撮影した映像素材である。そこにはいろんな時、いろんな場所での、いろんな人や現象が記録されている。我々はまずそれら素材を楽しむ。そして、それら無償で提供されている素材を、世界中の「エディター」や「ディレクター」が探し、編集し、さまざまなパッケージを作り出すのだ。素材の組み合わせで、無数の「番組」が生まれるのだ。そしてそれをまた、我々は楽しむことができる。それが「オープンソース番組」である。

ウェブ番組という考え方

WWWにおける番組、映像作品は、必ずしも映像のみで完結する必要はない。素材を編集し、そこにテロップや効果音やナレーションを乗せる必要はない。我々はすでにウェブブラウザーという開かれたパレットを持っている。そこには映像もテキストも音声も静止画も乗せることができる。ウェブにおける番組はマルチメディアであるべきである。つまり、ページに映像とテキスト(ナレーション原稿や補足説明)と音声(ナレーションや効果音やテーマ音楽)と静止画を配置して、それをもって番組にするべきである。映像で表現するものは映像で表現する。それは1つのパッケージでなくてもいい、カット毎に分割されて配置されていてもいいし、我々はそこから見たいカットだけ見ればいい。説明はテキストのがわかりやすいしレファレンスも簡単だ。検索もかけられる。ナレーション原稿は文学作品であってもいい。必要に応じて演出的な音声を再生させればいい。ブツの絵などは動画より静止画のがキレイだし見やすい。動画のカメラで接写をする必要などない。番組は単一のページである必要はなく、あるいは番組としてオープニングからエンディングまで整っている必要もない。必要に応じて別の番組にリンクを張ればいい。

吉見のチャレンジ

ウェブにおいて「放送」される番組は、このようにあるべきである。番組を見る者は、番組を作る者の演出意図にしたがう必要はない。テレビで放送されている番組は、一定の尺のなかで、視聴者をいかに飽きさせずにオープニングからエンディングまでもたせるかに演出を駆使するが、ウェブにおいては、そんな演出に腐心する必要はないし、だいいちウェブには尺などというものはない。見る人の意思と好みで、いかように見てもいい。

私はそんな新しい番組スタイルの確立に向けて、力を尽くそうと思う。

賛同者求む

もちろんこれは私ひとりでできることではもちろんない。同じスタイルを志向する多くの方の参加が必要だ。

興味・関心を持たれた方は、ぜひご連絡ください。一緒に新しい番組を作っていきましょう。