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創造的な批評空間

テレビとかラジオとか新聞とか雑誌とか、つまり既存メディアコンテンツというのは、広告収入によって成立している。ということは、広告を見た一部のヒトが商品を購入することを前提に、多くのヒトにコンテンツを無料あるいは安価に提供するということ。つまり、多くのヒトは「タダ乗り」をしているわけ。マスメディアの「マス」とは、送り手がマスなのではなく、受け手がマス。ぼくらは、タダ乗りでコンテンツを享受できる、大衆として存在することに慣れている。

でもそれは、大衆、つまり、大勢のワンオブゼムでないと成立しえないのであって、ネットで広告ビジネスがうまく回っていないのは、ネット上のぼくらが大衆と呼ぶにはあまりに「個」に好き勝手ふるまっているからだろう。

が、ぼくはやっぱり、「広告」が気になってしょうがない。以下、朝日新聞2004.11.25の「CM天気図」(天野祐吉氏)から、一部引用。

商品のすぐれた批評は、そのまま商品のすぐれた広告になる。げんに、すぐれた書評は、へたな広告よりも、ずっとその本を売る力を持っていることが多い。
いまのテレビには、政治や事件を批評するジャーナリズムの働きはあっても、商品を批評する商品ジャーナリズムの働きが欠けている。
チョコレートでも洗濯機でも、なんでもいい。各社の新製品を集めて、モノにうるさい連中があれこれ品定めをする。優劣は決めなくていい、それぞれの商品のいいところを、競争商品との比較のなかで明らかにしていく。テレホンショッピングなんて番組(あれってホントに番組かね)なんかより、こっちのほうがずっと面白い番組になるに違いない。

商品に限らない。何か、気になるモノ、気になるコト、気になるトコがある。それを、さまざまな角度から見てみる。じっと観察したり、中に入って話を聞いたり、覚めた目で感想を書いたりしてみる。全体的には批評行為だったりするのだが、その空間がすなわちある種の広告になるような、そんなポジティブな批評。広告って、本質は「広く告げる」であって、こういうのがまさに広告なのではないかと。決して、こきおろすための批評ではない。いいものを生み出すための創造的な批評。

それを、コミュニティの場で作りだせないかと思ったりするんだけど。

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 天野祐吉「CM天気図」より抜粋。  もともと「!」は受け手の中で自発的に生まれるものであって、外から押しつけられるものではない。 が、「からっぽの... [詳しくはこちら]

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