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生きる力

突然ですが文部科学省(当時は文部省だったかな?)が数年前に打ち出した「生きる力」というコンセプト、ぼくはけっこう好きです。
が、世間一般的にはどうも誤解されているような気がしてしょうがないです。

これからの時代、通り一遍のことを押し付けられてやってたって駄目、そんな画一的な教育には限界がある、そんなことを続けていたんでは日本は沈没してしまう、世界に伍する日本であるためには、個として何かしたいのかという意思を持ち、自分で問題を解決し、目標に向かって進む強い力を育まなければ、という、かなり強い危機感が、「生きる力」の根底にあるのではと思ってます。

そのための「ゆとり教育」。詰め込みでばんばん覚えさせて偏差値を上げさえすれば将来安泰などという安直な教育はもうやめて、おのおのが、自分の子をどう育てたらいいか、自分の生徒に何を学ばせたらいいか、自分はどう生きたらいいか、そういった個々の取り組みを促進するためのものだったはず。

しかし、相変わらず目先のことばかり。国際的に学力が落ちてるだとか、勉強しなくなってるだとか。もうレールはなくなっているのに(いや、レールがあったとこれまで幻覚を見ていたのかも)、レールを求め、そこに我が子を乗せさえすれば万事OKだと。いまどき、ほんとにそれでOK?いい大学、いい会社、いい人生なんて、実態に照らし合わせればほとんどギャグだということが、最近ますます判明しつつあるのでは。それよか、裸一貫からでも這い上がっていけるような、どこにいようと頭角をあらわしてくるような、そんな子どもがたくさん育つのをぼくは望んでいる。

*たとえば日本はアニメやゲームなどのコンテンツ産業に国際競争力があるとかで、最近では国も音頭をとってプロデューサー育成だとか張り切ってるらしいが、しかし、アニメやゲームの作り手は、レールからはみ出した連中じゃないでしょうか。レールに乗ったエリートが、はみだし野郎たちにぶら下がってるという構造ではないのでしょうか。

日本の黄金期は、戦後の高度経済成長期。大量生産大量消費の時代。それはもう終わっている。黄金期が復活することはない。みんなが同じ方向を向いてる時代が再来することは、もうありえない。子どもたちは、きっと(上手に)野放しにしてやれば、好き勝手にいろんなことやって、総体として、ぼくらの社会をあるべき方向に舵を切り向かわせてくれると思う。古い頭の大人がしゃしゃり出て、変な方向に舵をとってほしくないと思う。これまで通用していたかもしれない「べき論」なんて、もう振りかざしてもしょうがない。

「大人の事情」とか「大人の都合」ってのが、じつはけっこうくだらなくて、たんなる逃げ口上だったり、本質からはずれたことだったり、というのが最近なんとなくわかってきた。また、そんなものを振りかざさなくても、意外と生きていけるものなんだということもわかってきた。つまりはめんどくさかったり、ビビってたり、そういうことなんだ。

もっと子どものことを第一に考えましょう。

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