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日本(人)は、お調子もの。

ネット右翼について。こちらを読んで考えた。

日本(人)は、お調子もの。少なくとも、明治以降の日本(人)はお調子ものだと思う。うちの末っ子みたいに、ときどき叩いてやらないと、度を越してしまう。なーんにも考えてないから。

最近だとそれはバブル崩壊。たぶん、マンション価格が下がりはじめたときが転換ポイント。あそこで僕らはこっぴどく叩かれた。無限の右肩上がりなんてありえないよと。考えるに値しないぐらいに当たり前の事実に直面して、僕らはしょげた。

それまで、同級生たちは、マンションの資産価値みたいなものを、どうやら完全に信じ込んでいた。そりゃまあ、価値のある物件もあるわな。高値でさばけるモノもあるわな。いまはそれが常識だと思うけど、当時はたしか、「どれもこれも」みたいな錯覚があった。アホかい、ついてけんわその感覚。どのみちぼくは金がなかったからついていけなかったが、飲み会での話にも、ついていけなくなった。

もしかしたら彼らはいまだに、「おいしい話」というのを、信じているのかもしれない。なにしろ、僕らの学生時代はバブル絶頂期、「おいしい話」があちこちに転がってた時代だったから、いまだにその感覚が抜け切れていない可能性がある。

まあいいや。つまりお調子ものの日本(人)は右肩上がり神話を壊されてしょげてるところ。こちらにも書いたけど、世代間格差は確実にある。
年金もそう。
就職もそう。生産力はとっくにピークを過ぎている世代が、年功序列の名残で高給をとって居座っているがために、生産力の高い世代や、これから生産力がピークを迎える有望な世代に仕事が回ってこないという状況。ちなみに生産力が最も高いのは30代前半(←うろ覚え)。この状況下、最もリーズナブルなのは、いつまでも親のスネをかじること。振り込め詐欺もこの延長上にあって、要するに金を持ってる親世代にたかるということ。たかり社会。
高度経済成長という急激な右肩上がり社会の恩恵を受けたのは、限られた世代。「プロジェクトX」的には、「あのころはよかった」となるが、たぶん、企業戦士エコノミックアニマルと化して家庭も顧みずにばりばり働いて高度経済成長を支えたのは、せいぜい多くても5人に1人(根拠なし、もっと少ないかも)、大半は、同僚に甘え、状況に甘え、労せずしておいしい思いをしたことだろう。当時は家庭も地域も省みなくていい、ただ働いてりゃいい(=ずっと職場にいればいい)という時代だったから、ずいぶん楽だったんじゃないかなあと思う。評価システムも甘かったし。
結局のところ、あとの世代に何も残すつもりなくて、ただエゴイスティックに、自分たちだけがおいしければいいんだと、荒稼ぎをしたってことでないの?もっと成長率を抑えて、細く長くって方向性もあったのでは。そうすれば、ひょっとしたら、今でも、ビミョーな右肩上がり社会が続いてるのかもとも思ったりする。
荒稼ぎといったら、エネルギーもそうだし、環境問題もそう。「いけいけどんどん」で限られたエネルギーを使いまくったし、環境破壊をしまくった。母乳にふくまれるダイオキシンの量なんて、どこで見たか忘れたから正確ではないけど、ぼくが赤ちゃんだった昭和40年前後に強烈なピークがあったぞ。少なくとも可能性としてはありうる。
住宅問題も。いいとこから先に森林田畑をつぶして宅地開発をして持ち家を立て、いいとこ独り占め。彼らが出て行かない限り、ぼくらはその土地を再利用できない。そのときに宅地開発されなかった、つまり、あんまりいいとこでないところに、新規に宅地開発されているけど、簡単にいうとハズレクジだよね。
自分らでとっとと先にアタリクジを独占して、自分たちの子の世代には、カスしか残さない。「まーあとは適当にやっといて」って感じ。

つまり世代間不公平感というのは至極まっとうな感覚であって、それがネット右翼的なものの源泉ではなか。もしかしたら、日中戦争から太平洋戦争へと泥沼的に戦局を拡大させていった当時日本にも、列強各国にたいする不公平感というのがあって、それと心情的には重なるものかもしれない。だが、歴史から学ぶとすれば、「やっちゃえー」的なノリで喧嘩を始めるべきではなく、きちんとした戦力比較戦力分析をあらかじめしておくべきであり、勝てない喧嘩はやるべきではなく、始めた以上は「どこまでも」とかではなくて、ちゃんと落としどころ、着地点を決めておくべき。世代間不公平感に駆られて旧世代や旧価値観をバッシングし叩きのめし、独特の漢字とかを駆使しガンダム的ヨロイで身を固めてひとりカタルシスに浸って気分はすっきりかもしれないけど、ぼくらはきっとお調子もののままだから、きっと再びノリだけで突っ走っていって失敗する。

どーせ子ども作んないし、おれたち世代で終わりだからこの先どうなってもいいや。
とか、
老後になったら労働力はどんどん海外から呼んでさ、外国人労働者に食わしてもらうからいいや。
とかだったら、ヤケになって後先かまわず暴れてもかまわないかもしれないけど、先々のことを考えると、おいしい話などには一切目もくれず、いかに細く長く生きて次の世代にバトンタッチするかに精を出したほうがいいと思う。

ただ、どのみち国際化は避けられないだろうし、そのとき、日本とか日本人とか、もうどうでもよくなってるかもしれないけど。

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