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流れゆく先は結局テレビ的?(属人的コンテンツ)

いまネットの主役(?)はTwitterとSNS。いずれも「流れゆく」性質のものだ(いちおうフロー・コンテンツと言っておく)。

一方、2ちゃんは一見流れゆくように見えるけど実はそうじゃない。あれはブログと同じくストック・コンテンツ。

フロー・コンテンツは、流れる川に浮かぶバブルのように、水面に浮かんでは消える。浮かんでいるのは今だけ。井戸端会議のように、いつか消えてなくなる賞味期限つきのコンテンツ。

その意味を考えてみた。それぞれの発言じたいに価値があるんじゃない。発言している人じたいに価値や意味があるんだ。

つまりは属人的コンテンツ。「あの人が言ったから…」から、「あの人」の価値や意味が高くなったり低くなったりする。

どんな素晴らしい(もしくは下らない)発言があったかではなくて、それを言ったのは誰かで価値や意味が決まるということ。

結局、「誰」というのが価値評価の基準となるのが、ネットコンテンツの終着地点。なのかな。これは明らかに2ちゃんとは違う。そして、テレビによく似ている。

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