一生懸命に頑張ることは美徳である。
…と言われて、否定する日本人はいないだろう。
ところでこれ、日本人以外ならどう思うだろうか。
つまり、この考え方にどれだけの普遍性があるだろうか。
本当に、一生懸命に頑張るのは美徳なんだろうか。
戦後日本の復興から高度経済成長を引っぱってきた人たちは、「俺たちが一生懸命頑張ったから今の日本がある、君たちはその恩恵を受けているじゃないか」と僕に言うかもしれない。
本当にそうか?
たしかに一生懸命頑張ってた人はいたと思うけど、それは少数派じゃないのか。多くは人の努力にぶら下がって生きてきたのじゃないのか。
申し訳ないがはっきり言うけど、そう主張する世代つまり現時点でのお年寄り世代を見るに、個人差というか濃淡かなりあるけど、みんながみんな、働き者には見えないし、日本を引っぱってきたような能力を感じる人だって限られているぞ。
ただ時代の波にライドオンタイムしただけなんじゃねえの?たまたま乗った電車が特急列車だっただけでねえの?
だいたい頑張るって何だ。朝早く出勤して午前様の帰宅の毎日のことを言うのか。それってただの長時間労働じゃないのか。もっと労働時間を短縮できたのじゃないのか。勤務中、濃い時間を過ごしているのか。外回りの喫茶店で昼寝とか、同僚とダベリとか、けっこうそういう時間だってあるはずだ。
オール日本、頑張る「ふり」をしてきたんじゃないか。
「頑張るプレイ」とでもいうか。
で、高度経済成長時代はそれでよかった。時代がよかったから。
でも、「頑張るプレイ」しか知らなかったから、その後の難しい時代に対応できていない。それが今、なんじゃないか。
一生懸命に頑張ることが美徳だというのは、少なくとも戦後日本に関しては、たんなるファンタジー、幻想に過ぎないのではないか。
一生懸命に頑張ってきたのは、明治維新から、戦争に負けるまでの話じゃないか。
ぼくらがすべきなのは、しゃにむに頑張ることじゃない。
目的地に到達するために必要なことは何なのかを考え、限られたリソース(手間、コスト、時間)を投入するタスクを精選し、効率よくプロジェクトを実行に移し、成功へと導くことではないのか。それは、頑張ることとは違う。