きょう、子どもの通っている保育園の運動会があって、(当然ながら)三脚を使って撮っている人が割といたのだけれども、ああいう場面で三脚を使うことに、ぼくは反対だ。
とくにビデオ撮影の場合、手ぶれを防ぐために三脚を使うことが推奨されている。アマチュア向け撮影マニュアルの、基本中の基本といってもいいぐらいだ。きょうの朝日新聞朝刊(別冊)「てくの生活入門」にも、そう書かれていた。
でも、三脚はNGです。ぼくは断固として主張します。
まず、周囲に迷惑。プロアマ問わず、周囲への気配りもしない(できない)カメラマンは、カメラを構えるべきではないというのがぼくの考え。クオリティよりも配慮優先。とくに狭い園庭で行われるこのようなイベントの場合、われ先に、ではなく、お互いに譲り合わないと。
それから、機動性が落ちる。自然ものとか、舞台を撮るとか、対象がある程度fixしているんなら、三脚の意味はわかる。でも、雑然とした現場である運動会で三脚では、自ら機動性に縛りをかけているようなもの。いい絵が撮れるとは思えない。
また、アマチュアのカメラは、軽いから、三脚を使わないでも充分でしょう。
理由は以上3つ。
それから。
上記「てくの生活入門」では、シーンをつなぐ素材用の映像も撮ることをすすめている。これも撮影マニュアルの基本原則であるが、これもどうかと思う。作品づくりには必要だろう。タイトルバックとか、コメントバック用のカットがいろいろと。でも、保育園の運動会でビデオを回すのは、作品づくりのためではないでしょ。さらにいえば、子どもとか孫とかは、作品づくりという自己チュー目的の素材や駒ではないだろう。プライベートな記録のために、つまり、撮られている本人と、ぼくら家族のために、ビデオを回すのだ。作品性なんて、要らないのだ。家族でわいわい見て楽しむために、また、あとになって当時をふりかえるためにビデオを回すのだ。素晴らしい作品を仕上げるために、子どもや孫をダシにしてはいけないと思う。
話を戻して三脚だけど、ぼくが尊敬するテレビカメラマン(故人)は、三脚を嫌っていた。その理由はこちらにちょこっと書きました。その影響で、ぼくはだいたい手撮りです。
『いつだって一期一会(テイク・ワン) -テレビカメラマン新沼隆朗-』
アマチュアはプロのまねをするべきではないと思う。技術では勝てない。中身で勝負すべき。