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取材とは

私は「取材=インタヴュー」というスタイルに根源的な疑念を抱くようになってしまった。(中略)要するに私は、取材とは、文献を読み、歴史を知り、現地を体感し、内外の人々に問い、気づき、諸々の疑問を解き明かしていく一連の営為である、と考えるようになってしまったのである。(中略)別言すれば、取材は、相手の問題ではなく(インタヴューしてその返答を書き連ねる方法論は明らかに取材を「相手の問題」として捉えていることにな る)、「おのれの問題」ではないかと私は強烈に意識するようになっていたわけです。
そういえば、日垣隆がイラクに行ったときの…

どこからの引用なのかわからないけれども、はげしく納得。まあ、「おのれの問題」とまで内省的に問いつめたことはないけど。インタビューすればそれなりに形にはなるけど、なんか、形ばかりのインタなんてやってられっか、みたいな感覚もあるし。

なお、コメント欄のとこで、毎日新聞の記者が実名で書いている。

インターネットの発達とともに、新聞記者が書いた記事に対し、ネット上では賛否両論の意見から罵詈雑言の誹謗中傷、果ては人格攻撃までがあふれてます。記事に対し盛んな議論が行われることは歓迎すべきことですが、ホームページ開設者の中には、ネットの「匿名性」を利用し、決して実名を名乗らず、記事を一方的に切り捨てるだけのような記述を行う例が散見され、一向に建設的議論が展開されないという問題を感じます。

はい。その気持ち、すっごくわかります。

「匿名」である→好き放題言う→果ては人格攻撃→消耗して終わり、、、というケースを多々経験してきました。

これに至っては、実名は挙げられませんが、ぼくはある方の1年間の格闘を思い出しました。あの辛く長い1年間…。

ただ、一方ではこうも思います。

これまでマスメディアの発信側にいた人間は、自分が発信した情報が、どれだけ大勢に、どのようなインパクトでもって伝わってきたかを実感できなかったし、実感する必要もなかった。だからこそ、発信内容に対してそれほど責任を感じないでも済んだともいえる。でも、いまは違う。テレビ局に電話する人はごくわずかだけど、番組ホームページあてにメールする人は、ものすごくたくさんいたりする。マスメディアの「威力」を、イヤでも実感してしまう。自分の発信内容に対し責任を持ち、リアクションに対応するのはある意味当然。ただし物理的限界はあって、あっという間にメールが1万通もたまってしまっても不思議ではない。それがマスメディア。

もうひとつ。この毎日新聞記者も書いているように、これまでは、公人として対応すれば済んでいた。あたりさわりのない対応で済んでいた。別の言い方をすれば、全人格的に対応する必要はなかった。でも、これからは市民の時代。市民の時代の市民というのは、「サラリーマンとしてのおれ」「記者としてのおれ」という限定的な人格ではなく、「おれそのものとしてどーよ」という存在。公人の殻から出てこないと、相手の「顔」がいつまで経っても見えてこないと、なんか腹立って叩きたくなる。それは製品のユーザーサポートなんかでも一緒(だよね?)。公人の殻を割って、一読者と対等に向き合わないと、相互理解は得られない。…ま、取材でもそれは一緒。

公人を批判する側にとっても、同じことが言えると思う。匿名を隠れみのに好き勝手言って、「ざまあみろ」で気分は一時的にスカッとするかもしれないけど、結局、何も生み出さないはずだ。

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