既存メディアの制作にたずさわるヒトは、ネットコンテンツを一段低いものと見なす傾向があるように思う。プロとアマの関係のように。もちろん、作品として見た場合、ネットコンテンツのクオリティが低いのは間違いない。
が、テレビも黎明期には似たような扱いを、新聞やラジオといった既存メディアから受けたはず。でもテレビはその後、メディアとしての能力を開花させ、いまやメディアの頂点的な存在となっている。テレビの能力とは、「いま」をたくさんの人に見せることだろう。その強みは、これからも失われることはないと思う。
では、ネットの能力とは何か。
それは、いつまでもfixしない、完成しないことだと思う。htmlはいつでもさくっと修正や追記ができる。ブログはコメントやトラックバックも含めてコンテンツだから、基本的にはいつでも誰でもコンテンツの制作に参加することができる。開かれた、完成しないコンテンツ。これまでのメディアではありえない特性だ。
それは、油粘土で作ったオブジェのようなものだ。通りすがりのヒトまでもが勝手に参加して、いつまでも形を変え続ける。いつしか隣のオブジェらと集合合体して、何か巨大なものに変身してしまうかもしれない。既存メディアのように、とてもよくできているけれども、いつまでたっても変わらないオブジェを目指すべきではない。個々の完成度にこだわるよりも、変わること、つながることで勝負すべきだと思う。
ネットコンテンツは開かれた未完を目指すべき。個々のコンテンツ(=素材)のクオリティは低くても、それがパッケージとしての姿を変え続け、外とつながって広がっていくことで、既存メディアを凌駕する存在となる。そういう可能性を追求していきたいと思う。