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命は大したものかどうか

若かりし頃(とくに20代前半)、ぼくは、命をあんまり大したものだと思ってなかった。とくに一時期、バイクでずいぶんと命知らずな運転をしていた。長生きするつもりもなかったし、長生きできるとも思ってなかった。10年以上前の数年間、戦争関連の番組のリサーチをずいぶんとやった。当時の資料やなんかに接して、「むごい」と感じたことはあるが、その感じ方は、今ほどではなかったように思う。

いままた、戦争関連の資料を読んでいる。10年前よりもずっと、こたえるものがある。それは、ただ単純に、ぼくが歳をとったという理由もあるだろうし、親も同時に歳をとったのも理由の1つかもしれない。それに、家族を持ったという理由もあるように思う。とりわけ、子どもがいて、しかも、いまどき「子沢山」に区分されるぐらいにいて、さらに、自宅が仕事場なので子どもと接触する機会が多く、なおかつ、子どもがずいぶん育ってきたので自動的に接触年数が長く、結果として、「命は大したもの」という認識を否応なく深めたことが大きいのではないかと思う。

たぶん、ぼくが心のやさしい人間だからそうなったとか、何かの事件を契機に慈悲深くなったとか、そういうことではなく、肉体的物理的にこのような環境におかれれば、例外はあるかもしれないが、多くの人が自動的にそうなるような気がする。

ひるがえっていうと、独身者や、子どものいない夫婦には、「命は大したもの」という認識は相対的に薄いということになる。で、シングル化や少子化が進む社会ということは、命がどんどん軽くなる社会ということになる。これは認識の話なので、あくまで脳内での話だが、ということはつまり、命の重量は社会構造とかに左右される相対的なものである…ということになるのだけど。

ぼくの知人友人には、独身者も、子どものいない夫婦もいっぱいいるし、彼らをどういういう気はないんだけど、順番に考えていくとこうなりますって話。

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