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ホリエモンと多様性

世界はほんとうはもっと色鮮やかで豊かだし、残酷で不気味なんですよ?
こちらが出もと。ネット右翼だって現実社会に戻ればリベラルでしょうがで読んで、妙に残るというか、いいフレーズだなと思った。だけど、このフレーズ以外の部分には、あんまし共感できなかった。

ライブドアは、「市民記者」を募集し、自らのサイトのニュースに自前の記事を載せ始めている。その規模を拡大し、既存メディアの情報も取り込みつつ、ニュースサイトを充実させていくつもりだという。そして、新聞を発行し、そこでアクセス数が多い記事を紙面に載せていく。人気のある記事は大きく扱い、そうでないものは載らない。その扱いは、もっぱらサイトの読者の人気ランキングにより、新聞社の価値判断は一切入れない。
「人気がなければ消えていく、人気が上がれば大きく扱われる。完全に市場原理。我々は、操作をせずに、読み手と書き手をマッチングさせるだけ」

by 江川紹子ジャーナル

これでいいじゃないですか。ホリエモン賛成。

「透明なメディア」、学生時代からぼくはイメージしてた。ミニコミ作って、ミニコミ専門の本屋に持ち込んだら、「これはミニコミじゃない」と突き返されたことがある。コンテンツの作り手、情報の発信側に、主張とか思い込みとかイデオロギーとかが必要だとかいうのは、ただの幻想じゃないのか。これまでそうやって、特定の「色」を持ったひとばかりが発信側に選ばれてきたんじゃないのか。

倫理感覚は必要だけど、「?べき」みたいな、どろどろした怨念みたいなモチベーションなんか要らない。ぼくは以前、ニュースのランキングを試みたけど、「知りたいことを伝えるのではなく、伝えなければならないことを伝えるのが、報道の責務」という理由で却下。webではやったけども、連動はあまりできなかった。報道の志はじゅうぶんに理解できるのだけど、それならそれで筋を通してほしい。仮に受け手とのズレが決定的なものになったとしても。そこに例外は決してあってはならないし、たとえ尊大だ時代遅れだとさんざんののしられたとしても、最後まで貫くべき。

ところで△から▽に変わるメディア構造で書いたとおり、今後、ネットメディアとマスメディアの位置関係は逆転する。「色鮮やかで豊かだし、残酷で不気味」な世界に満ちたネットメディアがメインになる。マスメディアは従属物でその下にある。ホリエモンが作り出す「ランキングニュース」はそこにある。ネットメディアのコンテンツから、たくさんの人々が興味をもつコンテンツを最大公約数的に絞り込み、要約して流す。くわしく知りたければ、すべてはネットにある。そこには多様な事象、多様な意見にあふれている。

選び出し、要約するのがこれからのマスメディアの仕事。知りたいニュースしか見なくなる、つまり、編集権はすでに市民側に移ってしまっているので、志をアピールしても仕方がない。

世界の多様性と、ホリエモンの戦略はぜんぜん矛盾してない。というより完全にマッチしてると思う。

コメント (1)

きょう昼の「アッコにおまかせ」でホリエモン出てた。
彼の話にはひととおり納得できたなー。
和田アキ子は彼のことをけっこう気に入ってるみたい。
ニッポン放送は、スタジオにカメラ据えてネットライブとか、かなり早い段階から積極的にやってるし、ライブドアとの親和性は高いというか、相乗効果を考えるとかなりいいと思う。
とりあえずニッポン放送のサイトあたりから始めてもいいんじゃないかなあ。ネットとの融合による既存メディア生き残りの具体形をまず示せば、いずれ向こう(フジテレビ)のほうから寄ってくるかも。

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