文は人なり。だからブログは人なり。ときどき、この人はブログやらないほうが良かったんじゃないかなあーと思うブログに出会うことがある。ブログを通じて、その人の人間性が浮き彫りになってしまって、それが悲しい姿だったりすると、そう思う。
会ってみるといい人っぽいんだけど文章が…というのはおそらく、会った印象のほうが化けの皮で、文章のが本性でしょうね多分。
ブログはたいてい日記ライクというか、身近な出来事とか書いたりするから、日常が透けて見えたりする。プロフィールがかなり読めてしまうような内容を、おそらく無防備無自覚に書いているものも多い。そこから読みとれる、満たされない日々と、それを埋めるかのような延々と続く文章を目にしたりすると辛い。
2ちゃん系文体とかも、ときにけっこう辛いものがある。ある種のカタルシスを得たい衝動は、とくに若いオトコであれば、そういう気持ちも理解できるが、自意識過剰を客観視できない視点も辛いし、逆に、醒めた相対視線的ジブンみたいなカタルシスも辛い。年配のひとで時々暴走してるのがあるがそれはまあいずれ自損だから放っておける気にもなるけど、若い子のはちょっと…自分が通ってきた道の気恥ずかしさみたいなのもあるのかなあ。
ブログを書いてるひとは、頭の切れるひとが多い。頭の切れるひとはだいたい、あまり深く考えなくても反射神経でそこそこのが書けるみたい。たぶん書くスピードも速いんだろう。反射神経だけで書いてるから、表面的には謙遜してたりするんだけど。真似できねえなあと思いつつ、脳内消費がぐるぐる回ってるだけであんまり生産的じゃないのがもったいないっていうか、そういうぐるぐる感がもったいなくてちょっとした悲しみもある。なんか、いろんな人の空しい日常から繰り出される排泄物を次々と食らってるような。
既存メディアが二次情報の再生産を繰り返してコンテンツを埋めているように、ブログも自家発電自家消費みたいな完結的に閉じたパラレルワールド化していき、ふつーの人々には無縁の、なんだか魑魅魍魎的おどろおどろしい世界と化けていくのであろうか。
文体ですけど、ぼくも人から指摘を受けたりするんで、まあ自分のことはとりあえず置いといて書いてみました。