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動くために&わかりあうために

なんのために伝えているのかの続き。興味ある方のみ、お読みください。

「脳内生産・脳内消費」と勝手に呼んでいるけれど、自室PC前に陣取って全部済んでしまうようなことは好きじゃない。「書を捨てよ、町に出よう」じゃないけど、MOVING、動かないと。「ネタは足で稼ぐ」の原則は、ネットでさくさく調べものができる今でもなお、生きている。ネット情報は玉石混交で、たしかめるには一次情報つまり現場に行くのが一番確実だし、現場に行けば新たな発見もある。現場を這い回らずして、コンピューターを万能の神であるかのように信じ込むのは危険(自戒もこめて)。だから、脳内で完結してしまうネタでは駄目で、「こんなのがあるのか、これは行ってみないと」という気分に駆り立てられる、動くためのネタでないと。活性化されないと。

MOVINGにつながらない引きこもり的ネットライフは、タコツボ的状況をもたらす。理解可能な言語やコミュニケーション、心地よい関係しか許容しなくなる。世界がどんどん狭くなる。特定のコミュニティ内以外の住民に対して、寛容でなくなる。…歴史が示す通り、その先にはロクなことがない。グローバル時代であればなおさら、家族にしろ地域社会にしろ企業社会にしろ国家にしろ、自分が属する何らかのコミュニティは必要。しかしコミュニティ内に引きこもってはいけない。可能性さえも閉ざされてしまう。コミュニティにはハブが必要。「外の世界」への理解が必要。ネットは、コミュニティじたいも形成するし(例:同じ趣味の仲間とか)、コミュニティ内での情報共有にも有用(SNCとかMLとか)だけど、それに限らず、外の世界への理解にも役立つツールだろう。

インターネットは戦争をなくせる、というのがぼくの考え。敵がたんなる敵という抽象的存在であれば躊躇なく撃てても、敵のディテール、つまり、敵の家族のことや友だちのこと、それを知ってためらいもなく撃てるか。リアルで会ったことがなくても、ネットゲームで遊んだ仲間を簡単に撃てるか。

まあ、知れば知るほど嫌いになるという関係もあるし、楽観的かもしれないけど、でも、世界の潮流は、互いにわかりあう方向に向いていると思う。ひとつひとつはささやかな努力かもしれないけど、その総体が、ぼくらの社会のあちこちにある不具合、誤解とか、無知とか、そういうものを解消する手助けとなればいい。ネットが豊かなコンテンツであふれることは、相互理解に貢献できるはず。向かっている方向性は、間違っていないはず。必要なのは、ディテールにある問題点の修正か。

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