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なんのために伝えているのか

ここ「ふらっとブログ」では、意味のあることを書くように心がけている。ふらっとarchivesにおいても、一次情報をできるだけメインにとか、可能な限りちゃんと調べてとか、誤報のないようにとか、選りすぐりのネタをだとか、ようするにコンテンツとして、より「まとも」なものをと考えている。空き時間にちゃかちゃか書いただけでコンテンツとして通用するのはネームバリューのある人だけだし、ぼくとしては、あくまでプロのコンテンツの作り手として、中味で勝負したい。目指しているのは、テレビのマイクロ版のようなイメージ。テレビは「tele-vision」、つまり、遠くを見るためのメディア。ぼくも、どこかに眠るネタを、遠く離れた誰かに伝えたい。専門誌化して読者を絞ることは考えていない。テレビがそうであるように、面白い(興味深い)と思ったネタなら何でも反応していきたい。見てくれる人は多くなくていい。いや、多いと困る。ほどほどがいい。

ぼくはいったい何のために伝えているのだろうか、と、ふと考えた。あくまでほどほどがいいというのがぼくの考え。見てくれる人が多ければ多いほどいい、とは、思わない。マスメディア並みの影響力を持ってしまったら、それはえらいことになる。報道被害の可能性を考えると、へたなことは書けない。テレビは絶大な影響力を持つメディアだけど、かかわる人数も多いし、人数割りをすると、スタッフ1人あたりの影響力はそんなに大したことない。いろんな力学が作用しているので、誰か特定の作り手が強い影響力を持つことはレアだし、それで健全だと思う。ここ自分のサイトでの影響力は、それよりずっと小さいのが適正だし、そうありたいと思う。

車中泊について書いたあとで考えた。以前、車中泊をするドライバーはごく一部だった。おそらく道の駅などインフラが整って、車中泊が増えた。昔のスキーブームでも、明け方前に着いて駐車場で仮眠して…というのが普通だったから、案外とそのあたりが起爆点かもしれないが。で、車中泊人口が増えたら、いろんな問題も顕在化した。そういうことだと思う。で、ぼくが「駐車場でも、外でガスコンロで湯をわかしてコーヒー飲むくらいいいじゃん」と書くとする。実際、周囲への配慮をすれば、ケースバイケースではあるけれどもOKな状況もあると思う。その記事をたとえば1000万人が見たとすると、えらいことになる。ぼくのサイトで、特定のページに1000万人というのは普通はありえないけど、物理的に不可能ではない以上、可能性としてはありうる。地上波テレビなら、決して珍しい数字ではないだろう。その「いいじゃん」発言がもとで、全国各地の道の駅などが傍若無人の車中泊野郎にいいように占拠されてしまい、社会問題となって、結果、車中泊追放運動が起きるという可能性もある。しかし、一個人が運営する、さほど人気でもないサイトで、そこまで配慮したうえで発言するべきものなのか。そこまで自主規制をきかせてしまったら、一個人が発するコンテンツとしての意味も失われてしまうのではないか。もろもろ配慮をしつつも、本音ベースの自由な発信というのが、望まれるバランスだろう。だからこそ、読者はほどほどがいい。

と書いている間に、小林克也さんの「FUNKY FRIDAY」がNACK5で始まった。FMラジオはいい。地域密着で、リスナーも安定的かつ限定的だ。

あと、ぼくはマスな構造に立脚した生産と消費の関係はすでに20世紀の遺物だと思っていて、これからは、コミュニティがささえる社会、コミュニティがささえる経済という時代になると思っている。ぼろ儲けの一攫千金を狙って同じ頂上に一目散に駆け上がるようなのは古くて、たとえば、適正規模の商圏があって、そこに住む人たちが、町にある一軒の酒屋さんを支える。商圏が一定だから、売り上げは増えもせず減りもしない。でも、酒屋さん一家がつつましく暮らしていける程度の売り上げはある。そのつつましい暮らしを支えるために、誠実な商売をする。住民も、少しづつ売り上げに貢献することで、その酒屋の経済を支える。そんなささやかな支えあいが、あちこちにあって、互いに支えあって、みんながつつましく、ほどほどに暮らしていける。社会主義のような制度ではなくて、あくまでこの資本主義経済のなかで、そういった支えあい社会が主体的に生まれる。それがこの社会のいろいろな問題を健全化していくと思う。

さて。それにぼくのコンテンツは貢献できるのか、どうか。

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