旧聞。
朝日新聞2005年12月23日、一面に、「人口減 産めぬ現実」と題したトップ記事があった。見出しには「お金かかりすぎる」「2人目はとても…」というフレーズも。君島浩記者は「とても安心して子供を産める環境にはない」とばっさり。
えーと、うちは子ども3人いるんで、いまどき子沢山だと思うんですが、この記事読んでると、まるでバカ扱いだ。うちの子が通ってる保育園には、これくらいの子沢山はあたりまえだぞ。みんなバカか?
逆に疑問。子どもを産み育てずして、老後は大丈夫なのか。誰が自分の面倒を見てくれるのか。先行き不安な社会保障に自分の老後を委ねるのは、あまりにギャンブラー。かりに社会保障があてになったとして、それを支えるのは「よその子」であり、「産めぬ現実」も、「とても安心して子供を産める環境にはない」のも無視して子どもを産み育てているウチのような大ばか者の、いまを耐え忍ぶ日々が、「お金かかりすぎる」せいにする人たちの老後を支えるという、納得しづらい時間差攻撃構造がそこにはある。
「今しかないの」と口癖のように繰り返しながら「今」をひたすら消費する女子高生がそのままスライドしてるだけじゃないのかなあ。
同日、「悲観ばかりではない」と題した社説も掲載されている。「人やモノはますます国境を越えて移動する。一国だけの尺度で人口を考えてもどこまで意味があるのか疑問にも思えてくる」…ま、これはわかる。