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物語生むインターネット

…と題したコラムが、朝日新聞の1996年05月31日紙面に掲載された。筆者は編集工学研究所長・松岡正剛氏。

アメリカ・インディアンのポピ族の一人がコンピューターやインターネットをつかいはじめている。 ポピ族にはストーリーテラーという役割があって、部族が語り継いできた物語をいくつも口誦(こうしょう)しつづけている。 その何十年にもわたる物語というのは、ひとつの共有構造をもっていて、物語構造そのものが「世界」をあわらすようになっているようなのだ。そして、たくさんのエピソードがその構造から引き出せるようになっているらしい。いわばハイパーテキスト(多重テキスト)なのである。 ストーリーテラーはあくまで口誦だ。だから録音テープやビデオなどの機具がポピ族に入ってきても、そういう便利な機具に頼って物語を保存しようとはおもわなかった。見向きもしなかったのだ。 それがストーリーテラーの一人がインターネットなどのコンピューター・ネットワークには格別の関心を示し、昨年ユタ州で開かれた?生きた物語の語り方?をめぐるフォーラムでは、ついにデジタル・ストーリーテリング・システムを発表したのだった。 しかも興味深いのは、コンピューターをつかったときの彼の物語は、既存のポピ族の物語だけではなく、新たな物語も加わっていて、本人ですらその区別がつかなくなっているということである。何がおこったのだろうか。 この話から予想してみたいことが二つある。ひとつはインターネットのしくみがポピ族の物語構造に近いものを感じさせたということ、もうひとつは、今後、インターネット上には多くの物語が発生する可能性があるということだ。両方ともに、われわれが予測できなかった現象だった。
物語、というのは、小説とは違う。小説は特定の誰かが創作した「作品」だけど、物語はシェア・コンテンツ。誰かが思いついた何かからスタートしているかもしれないけど、伝言ゲームのように伝え広がる間にさまざまなディテールが加えられ、やがて作品性は薄れ、コミュニテイメンバー共有の豊かな資源としてオープンソース的に成長していく。

これからのコンテンツ(の多く)は、そんな育ち方をしていくべきだし、じっさいにそうなっていくだろう。

※2006年08月22日に修正

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