みんなが情報発信すれば、いろいろな問題は生じるだろうけれど、基本的にはいいことで、ウェブによって世の中はどんどんよくなっていくと信じられていた。そうした純真無垢な進歩思想の時代はどうやら去り始めた。 [ 「ネット失望の時代」がやってきた - 歌田明弘の『地球村の事件簿』 ]
同意。
以前ある仕事関係(テレビ)の方に、ぼくがブログをやっていることを批判的に言われたことがあった。「なんて破廉恥な」…みたいなニュアンスだったと思う。ちょっとショックだったけど、ブログ、って、そんなものでもあったりするよね。
ぼくはブログ(Web Log)が出てきたとき、これは便利だと思った。すでにサイトはやっていて、Dreamweaverとかでいちいちページ作ってFTPして…というプロセスがめんどくさく、ブログだったらその手間が省けるから、中身(取材と執筆)に専念できると思ったのだ。じっさい、書く量は増えたと思う。ぼくにとってブログは日記ではなくツールだった。でも。
手軽に書けることが、ぼくらの「正体」を暴露した。もともとぼくらはそんなにお上品な存在ではなかったのだが。なんか、これまで鏡を知らなかった原始人が鏡で自分の顔を見てぎょっとしたような感じ。
ぼくは「どんどんupしよう!」という主義で、その意味を込めたアイコンもデザインして使っている。でも、最近どうも…書くのはまだいいんだけど、画像が。
撮影って世界を手中に収める行為じゃないですか。征服欲の発露ですよね。エゴですよね。なんかそのいやらしさを自覚することなく隠すことなくうれしそうに。家族写真もある種、父権を振りかざした家族の征服。
いや話がずれたぞ。
時代というのは…歴史というのは代々の為政者を軸に語られてきましたが彼らはたしかに歴史を動かしたかもしれませんがその陰に多数の庶民が面々と営みをつむいできたように、スポットライトが当る時代を語る部分というのはインターネットでもごく一部にすぎないわけで、インターネットの本来の魅力というにはむしろ日の当らないところ、世界中でも同好の士が極めて少ない趣味の情報の交換だとかそういうことにおいて衝撃的だったのです。ぼくがインターネットにさいしょ感動したのはDune Buggyの個人サイトin英米にダイレクトにアクセスできるという点で、これはどのメディアにもかなわない。ぼくはだから地味なところをあくまで追求していきたい。インターネットが豊かになるというのはそういうことだと思う。