誰がやったって同じだ。護送船団方式に慣れきって、痛みも責任も引き受けるつもりのない人たちがこの国の多数派を占めているかぎり。
「街の声」を聞くと時々腹が立つ。自分だけは特別[ Link ]なんて絶対ない。ぼくらは次の代に引き継いでいかなければいけないのだ。間違ったものを引き継いではいけないのだ[ Link ]。
逆円錐形の劇場。そこに鳩山さんは立っていて、オーディエンスに降りてこいと呼びかけている。ぐるっと囲んだ観衆は「お手並み拝見」とかいいながら高みの見物。火の粉が飛んでこない高い所に陣取って、見下して、ネタにして。
ぼくらは後の世代から、「何も引き受けようとしなかった無責任な世代」と評価されてしまうんだろうか。
以下、読売新聞が載せた「鳩山発言全文」(1〜8)から抜粋。
私たち政権与党のしっかりとした仕事が必ずしも国民の心に映っていない。国民が徐々に徐々に聞く耳を持たなくなってきてしまった。そのことは残念でなりませんし、まさにそれは私の不徳の致すところと、そのように思っている。
私は、つまるところ、日本の平和、日本人自身で作り上げていくときをいつかは求めなければならないと思っている。アメリカに依存し続ける安全保障、これから50年、100年続けて良いとは思いません。そこのところも是非、みなさん、ご理解いただいて、だから鳩山がなんとしても少しでも県外にと思ってきた、その思い。ご理解を願えればと思っています。その中に私は、今回の普天間の本質が宿っている、そのように思っています。 いつか、私の時代は無理でありますが、あなた方の時代に日本の平和を、もっと日本人自身でしっかりと見つめあげていくことができるような、そんな環境を作ること、現在の日米の重要性は言うまでもありませんが、一方でそのことも模索をして頂きたい。
国が上で地域が下にある社会なんておかしいんです。私は地域のほうが主役になる日本にしていかなきゃならない、それがどう考えても、国会議員や国の官僚がいばっていて、くれてやるからありがたく思えと、中央集権の世の中は、まだ変わっていませんでした。 そこに少なくとも、風穴が開いた。かなり大きな変化が今、できつつある。これからさらに一括交付金など強く実現をはかっていけば、日本の政治は根底から変わります。地域の皆さんが、思い通りの地域を作ることができる。そんな世の中に変えていけると思います。
新しい「公共」もそうです。 官が独占している今までの仕事を出来る限り、公を開くということをやろうじゃありませんか。皆さん方が主役になって、本当に国民が主役になる、そういう政治を社会を作り上げることができる。 まだ、なかなか新しい「公共」という言葉自体がなじみが薄くてよく分からんと、そう思われているかもしれません。ぜひ、今日お集まりの議員の皆さん、この思いをこれが正しいんだと。官僚が独占した社会でなく、出来る限り民が、国民の皆さんが出来ることは全部やりおおせる社会にかえていく、その力を貸して頂きたいと思います。
国境を越えて、お互いに国境というものを感じなくなるような、そんな世の中を作り上げていく。そこに初めて新たな日本というものを取り戻すことができる。私はそのように思っています。国を開くこと。そのことの先に未来を開くことができる。私はそう確信しています。
雨の日には雨の中を、風の日は風の中を、自然に歩けるような苦しいときには雨天の友、お互いにそのことを理解し合いながら、しかし、その先に国民の未来というものをしっかり見つめ合いながら、手を携えて、この国難とも言えるときにぜひ皆さん、耐えながら、そして国民との対話の中で新しい時代をつかみ取って行こうではありませんか。