この国の指導者たちはひどい罵声を浴びせられ続けている。
いったいいつからこんなことになったんだろう。
彼らが罵声を張り上げるには、一定の条件がある。
自分に賛同してくれる人が大勢いる。少なくともそう思える状況下でしか、彼らは罵声を上げない。
それは「炎上」に似ている。
炎上のパターンはこうだ。まずは風向きのはっきりしない複数の書き込みがある。と、そこに1つの強い声が書き込まれる。するとそれに触発されるように、たてつづけにその声に同調する書き込みがされる。これで風向きが決まる。あとは面白がって参戦する便乗組も加わって、一方向に非難する書き込みが大量になされる。
ようは、声高なのはごく一部なのだけど、多くの「どちらでもない」層がそれら強い声に引っぱられるようにして、一瞬、一方向になびくのだ。
この「どちらでもない」層、たいていは事態を静観しているだけの、変化を好まない中間層が非常に厚いボリュームを形成しているのが日本社会の特質ではないかと勝手に考えているのだけど、そういうことを研究している社会学者とかはいるのかな?
ぼくも罵声を浴びたことがある。それはとある趣味のMLだった。ひどい罵声に、彼らはいったい何故こんなに僕を一方的にこき下ろすのだろう、その根拠は何だろうと考えたのだった。たどりついた仮説としては、彼らMLのコアメンバーはオフ会でも互いに顔なじみの面々であり、オフラインの場で、「あいつ生意気で気にいらねえ」という話ですでにまとまっていた、のではないかと思う。ぼくはオフ会にまったく出ないし、コミュニケーションよりも情報共有って派だったから、そういう話になっていても不思議ではない。とにかくそこでぼくが学んだのは、「自分への賛同票が多数と見込んだら彼らは口汚く人を罵倒する」ということだった。
いい人生勉強になった。
しかしそれはいったい正しい態度だろうか。
これは「いじめ」の構図とおなじ、卑怯な態度なのだから、たとえ仮に言っていることが正しかったとしても、そういう態度を人に対してとるべきじゃないと思う。
少なくとも、子どもたちの模範となるような行為とはいえない。
だから、指導者たちにひどい罵声を浴びせる行為はつつしみましょう。