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日本人の「自信」

「自信」について考えた。

きっかけは、自分が実は自信を持っていないのだと気づいたことから。
フリーランスとして、仕事をただ「受ける」だけの立場にいる限り、自信は持てない。新宿アルタ前の広場でただ声がかかるのを待っている日雇い労働者と実質的には同じだ(←座ってたら声かけられたことがある)。

いっぽう、僕の父はもう定年退職して長いが、いまだに自信たっぷりであるように見える。ここで言う「自信」というのは、何か、揺るがない確信、とでもいうか。
父は電力会社の社員だった。たいした仕事はしてないと思うが(といったら本人は怒るだろうが)、それでも地元では大企業であり一流企業だ。
大企業を勤め上げた、というのが、彼の自信の源であるように思う。

で、話はいきなり日本人になる。
ぼくらの祖先が「日本人」になったのは、そんなに昔のことではない。明治以降だ。しかもたぶん、最初っから「日本人」という意識があったのではなくて、徐々にその意識が芽生え、定着してきたはずだ。おそらく、日清戦争、日露戦争という、否が応でも世界を意識せざるを得ない「ビッグイベント」を経て、その意識は強く育まれていったのだと思う。
日本という国家の運営方法。資源もない小さな国が世界の大国、強国にのみ込まれないように生きていくために、官僚組織をヒエラルキーの筆頭にしたピラミッド構造をつくり、「一丸となって」生きていくのが最善と考えた。少なくとも官僚たちはそう考えた。そこから統制経済の発想も生まれたし、一億玉砕的な発想も生まれた。終戦直前、少なくともある革新官僚は、戦後もアメリカのような自由主義ではなく統制主義でいくべきだと考え、全国民が本土決戦に備え竹槍訓練とかやってる状況を望ましいと考えていた(←ごめんなさい、今後資料手元においてちゃんと書きます)。
つまりそれが、3.11の大震災後にしきりに叫ばれた「ひとつになろうニッポン」の原点といえると思うのだが、ともかくも、「団結すれば強いんだぞ俺たちは」という考え方が、明治以降、育まれていったのだと思う。

何が言いたいかというと、国の官僚機構からその支配下にある大企業、さらにその傘下にある中小企業…といった、末端までに至る一糸乱れぬヒエラルキーが少なくともイメージにあって、そこに所属している、俺の立ち位置はここにある、と確信がもてることが、日本人の自信になったんじゃないか。

バブルがはじけ、失われた10年だか20年だかの停滞で、その秩序が乱れ、立ち位置のよくわからない、確信の持てない人が大量輩出された。
だから今は、相変わらず自信いっぱいの年寄りvs自信喪失の若者、という構造になっている。

ただ、いまの年寄りの心の支えになっているものは、国家という団体戦の時代じゃなくなるとともに幻想化していく宿命にあるので、僕らがノスタルジーを感じても仕方がない。

僕らは、グローバル化の中で「地方」「地域」「ローカル」というアイデンティティを持つことができると思うし、また、ピラミッド構造から切り離された、個としてのアイデンティティを獲得することも可能だろうし必要だろうと思う。

思考途中ですが今日はここまで。

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