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曽我逸郎氏の文章を読んで。

長野県中川村の村長、曽我逸郎氏の文章、「日本を誇れる国にするには 英霊にこたえる会会長の講演を聴いて」から。

機の不調などで目標に到達できず生還した特攻隊員を日本軍はどう扱ったのか。
僕はそうした元特攻隊員の方に取材をしたことがある。彼らは、元の部隊に戻れない。それどころではない。周辺関係者にも取材をした。みな、口をそろえて、生還した特攻隊員をボロクソに非難する。その非難のひどさに、僕は言葉を失った。 生還した特攻隊員は、その後の消息がたどれないケースがままある。同期の人に聞いても、わからない。 ある人は、「あんな奴、ろくな死に方をしないよ」とまで言い放った。

ひとり、生還した特攻隊員の方で、戦後、実業家として成功していた方がいた。たぶんレアケースだと思う。彼はきっと、そうした心ない非難とずっと戦って生きてきたのだ。

僕が取材した特攻隊は、いわゆる最後の特攻隊、玉音放送後に正式な命令によらず行われた出撃だ。そこで仮に何らかの軍事的な成果を出せていたとしても、すでに遅し、無意味な特攻だった。生還するのが本来的なスジだと思う。軍は目的のために行動するのであって、徒に貴重な戦力を消費してはならないからだ。
なのに何故、戻ってきた彼らが、こんな物言いをされなくてはならないのか。

取材したのはもう10年以上も前のことだが、いまでも覚えている。

もうひとつ。

中條氏は「戦争は罪深いものだが起こる。だから避けてはいけない」と仰る。
これは違う。
戦争は愚かな行為だ。外交が破綻した先に起こるのが戦争なのであって、戦争を起こすということは、外交がろくでもないということではないのか。起こしたこと自体、反省すべきだ。
ほかの戦争は調べてないから知らないが、少なくとも日中戦争、太平洋戦争は、避けられた。日中戦争の発端についてはすでによく知られているから省くとして、太平洋戦争だ。いま流行りのフォロワーシップの問題にすることもできるが、より直接的には、さまざまな状況(国外、国内)を冷静に分析し、大局的見地から決断を下すシステムと、そのシステムを適切に運用しうる、勇気と知性を備えた指導者がいれば、避けられた戦争だった。

それについてはすでに確証があるが、いずれきっちり、検証をしたいと思う。

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