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片島紀男さんを偲ぶ。

ぼくが片島紀男さんと一緒に仕事をさせてもらったのは20代。一度きりのことだったけど、強烈な経験だったから、忘れっぽい僕でもよく覚えている。
片島さんはNHKのディレクターだった。別格だった。ガイコツみたいなおっかない顔をして、鋭い目つきをしているのに、笑うとすごくチャーミングな顔になった。
NHKの職員であったから、当然サラリーマンであり組織人ではあったのだけど、そういうところをまったく匂わせない、スタンドアローンな人だった。
自分の取り組む番組に、心底、打ち込んでいた。没頭していた。もうそれだけしか見えていなかった。しだいに妄想の領域に入ってしまったりして、僕らは一生懸命、片島さんを現実に引き戻していた。
1991年8月に放送した、NHKスペシャル「シリーズ・アジアと太平洋戦争」第3回「マッカーサーの約束 フィリピン・抗日人民軍の挫折」という番組だった。あとで知ったのだけど、これを制作途中、片島さんは思いつめた挙句、飛び降り自殺をしようと、NHKのビルの屋上に上がったらしい。そのとき、「紀ちゃん…」と呼ぶ奥さんの声がどこかから聞こえて、思い止まったらしい。
当時かなり能天気だった僕は、外の中華料理屋で晩飯を食べながら、聞いたことがある。こんな意味のこと。「片島さんはなんで歴史番組をやってるんですか?」
片島さんはこんな僕にも丁寧に答えてくれた。しばらく考えたあと、「時を経たからこそわかることがある」…そんな意味のことを僕に言った。
当時の僕は「ふーん」ぐらいにしか思わなかった。なにしろそれまで歴史だとか昭和史だとか戦争だとか関心ゼロで、はじめての歴史番組だったから。

あれから20年以上経った。多くの歴史番組で取材を担当し、今になってやっと、片島さんの言った意味がわかるようになった。

現在進行形の渦中にいると、自分がどういう立ち位置にいるか、歴史軸でどういう位置づけにあるか、わからない。自分史のなかでも、時間が経って振り返れば、「あああの頃はこうだったな」とわかるように、国家の歴史も、時間を経て振り返ってこそわかることがある。そこにある教訓、レッスンを汲み取ることができる。今の国家、今の僕らにもつながる問題が見えてくる。歴史は検証されなければならない。それが先人の努力にも報いることになるし、次の世代の肥やしにもなる。

天国にいる片島さんは、いまの僕をどう思うだろう。
片島さんのフィリピンみやげの鴨の木彫り、いまだに部屋に飾ってますよ。

※↓ツイッターで以前書いた。

時を経たからこそわかることがある、と、片島さんは当時若かった僕に言っていた。

2009年9月16日 - 20:46

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