北川景子主演の日テレのドラマ「悪夢ちゃん」。
昨夜放送された第3話のエンディングは、衝撃的だった。
北川景子演じる主人公の小学校教師はクラスの児童らに愛想笑いをやめろと言い、自らも愛想笑いをやめる。
考えた。僕らはいつから愛想笑いをしているのか。昭和20年に戦争に負け、GHQが進駐してきてギブミーチョコレートと言い出すようになってから、僕ら(といっても僕はまだ生まれてないが)はずっと愛想笑いを続けているのではないか。
主人公のように自分を殺し、自分を偽って(=からっぽのアイデンティティ)、彼女の担当するクラスの小学生たちのように深刻な問題に直面するのを先送りにし、互いに顔を見合わせてなんとなくへらへらと愛想笑いを浮かべているのではないのか。
(ちなみに、問題先送り体質といじめ体質は同根だというのが僕の仮説でもある)
また、主人公の夢の中だったか、「顔のない小学生」も出てくる。これには「千と千尋の神隠し」に出てくる「カオナシ」がダブった。
(カオナシは僕らの象徴であるというのも僕の仮説)
これは娯楽番組に巧妙に挿入された、確信的かつ核心的な日本社会への批判と受け取った。
ものすごいドラマを作るものだ。
ドラマの原案は恩田陸氏の『夢違』ということだが内容はまったく違うらしいから、おそらく脚本の大森寿美男氏によるものか。
その意図を直接聞いてみたい気もする。