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「迷惑」考

「迷惑」について、考えている。

「誰にも迷惑かけてない」というのは、自分の行為を他人から責められた時に使う常套句だ。

コミュニケーションはお互いの「前提」の上に成り立つものだから、このフレーズが有効だということは、「人に迷惑をかけてはいけない」ことが社会の基本ルールとして理解認識共有されているということになる。

それは、「人に迷惑をかけることでなければ、それをするのは個人の自由だ」という考えにもつながる。

こういう考えが日本で定着したのは、いつ、どうやって、だろうか。
これは西欧由来だろうか、それとも日本古来の考え方だろうか。

勝手に想像すると、戦後の民主主義時代において、(それまでの全体主義的な思想から180度真逆の)個の尊重ということが言われるようになり、かといって何のルールもタガもなしにでは社会崩壊してしまうから、その前提条件として「人に迷惑をかけることでなければ」が共有認識されるようになったのではなかったか。

果たして、この前提条件は正しいのだろうか。というか、個の尊重ってそんなに大事なんだろうか。

たとえば「持続可能な社会」という考え方には、ある程度、個を犠牲にする要素がビルトインされていると思うんだけど、全体(国家、社会、世界…)と個人との調和というかバランスというか、丁度いい加減なところで釣り合いをとったほうがいいんじゃないだろうか。

「人に迷惑をかけてはいけない」ことを前提にした社会とは、裏を返せば、「何をしようが勝手じゃん」って社会であり、僕らの芯に「何をしようが勝手じゃん」がビルトインされている限り、僕らは(悪い意味で)いつまでたってもこのままではないかって気もする。

それでいいのかな。

※数日前にも、「高校を卒業して上京するとき、父親に、「よそ様に迷惑だけはかけるな」と訓令されたことを覚えている…」と書きました。これはその続き。

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