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インターネットコンテンツらしい作品

あなたが考える「インターネットコンテンツらしい作品」を募集します。…(中略)自由な発想から生まれる皆様の作品をお待ちしています。
インターネットコンテンツフェスタ 2004 - めでぃすた

んーと、作品という発想そのものがですね、ネットっぽくないと思うんですけどねえ…。

作品っちゅうのは、閉じた世界なわけです。一方のネットっちゅうのは、開かれた世界なわけです。
作品っちゅうのは、完成品なわけです。一方のネットっちゅうのは、未完成品なわけです。

人類が作品という概念を持ったのは、たぶんそんなに古くなくて、自我とか個人とかパーソナルとか、よくわかんないけどそういう概念とセットなんだろうって気がします。小説というものが生まれたあたりから、作品という概念が生まれたのではないのかなあーと勝手に想像。古代壁画を描いたひとに作品という概念は、なかった(←たぶん)。親から子に語り継がれる民話にも、作品という概念がなかった。地方地方によって微妙に違ってたりとか、作品だったらありえない。
作品は誰か特定の個人や集団に帰属するものだけど、「かごめかごめ」は誰のものでもない。しいていえばみんなのもの。
誰か特定の個人や集団が、自分たちの考えていることとか、言いたいこととか、感じたこととか、そんなパーソナルなものを表現した、閉じた完成品が作品。ぼくらはそれを見て読んで聞いて、感想を述べたり批評を書いたりはできるけど、参加はできない。
インターネットコンテンツらしいのであれば、まず、作品ではないこと。いろんな人がオープンに参加できて、いつになっても完成しないもの。たとえば口承文学のように、人から人に伝達される過程でカスタマズされ、どんどん変容していく物語。それがいくつもバリエーションがあったりとか、誰がどこに手を加えたのかもわからない。おまけに、最初の物語を作ったのが誰なのかさえもわからない。つまり、誰だか特定はできないけど、みんなで作ったコンテンツ。
映像ならば、いろんなひとがいろんな映像を撮って、それをネット上に公開する。それを素材に、いろんな人が編集を加えていく。公開された編済映像を、さらに別の誰かが別の素材とくっつけて編集していく…そんな感じで、いろんな素材と、それをつかったいろんな編済映像があって、編済映像がどんどんアップデートされていく。
面白いでしょ、きっと。

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インターネットコンテンツらしい作品 で書いたことの続き。 「作品」というのが、ど... [詳しくはこちら]

コメント (2)

すみません、別のセクションでトラックバックを送ってしまいました…。

ほんとだ、変ですね。というわけでトラックバック削除させていただきました。再度トラックバックしていただいても結構です。

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