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webにすべてがある

同板の中に分散していた書き込みを有志が一つの物語に編集しネットに発表したところ、口コミで評判が広がり、関係者に出版社8社から書籍化依頼が殺到。
「2ちゃんねる」が生んだ文学、「電車男」22日刊行

これは小説なんだろうか文学なんだろうか。共同体が作り出したのだから、むしろ伝説とか民話とかの物語ではないだろうか。…ということよりも、「webにすべてがある」というのを、まさに地でいったケースが出現したなあという感慨。

「webにすべてがある」というのは、ある人が言ってたフレーズを拝借させてもらっている。ぼく的には、「webはすべてのコンテンツがある母なる海のようなもので、そこからいいトコどり、つまり、おいしいとこを拾いあげて編集したり構成演出したりすれば既存メディアのコンテンツになる。これからの既存メディアはそういう役割になる」という意味で使っている。

オープンソースなコンテンツ制作という意味では、以前から番組市場というのを提唱している。あいにくこちらは参加者がいなくて、ひとりプロジェクト状態だが、おおざっぱにいえば、ベクトルは電車男と同じだ。

これまでは、小説家なり、ミュージシャンなり、コンテンツを作り出す意思、それで収入を得る意思をもった個人なり集団なりが、意図してコンテンツを制作してきたが、これからはおそらく、この電車男のように、コンテンツを作り出す意思も、それで収入を得る意思も持たない不特定多数が、意図せず結果的にコンテンツを生み出してしまうケースが増えるだろう。それが普通になるだろう。

商業ベースのクリエイターも残るだろうが、おそらく、企業サイトのwebディレクションとか、PR誌の編集とか、CMの制作とか、企業活動寄りに特化していくのではないか。文化の創造という意味では、不特定多数が無償で生み出すコンテンツが主流になっていくだろう。そして、既存メディアも、自らがコンテンツを生み出すというよりも、そうしたいわば詠み人知らずのコンテンツをいかに二次利用し、編集構成演出してアウトプットするかのほうが主流になるのではないか。

テレビ局でいうと、ハード(送出部門)とソフト(制作部門)が分離したうえに、制作部門の仕事の多くは編成および、そういったコンテンツを利用した構成番組制作となり、一から新撮で構成する番組は少なくなるのではないだろうか。

電車男

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