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ニュースネットワークと作品性

インターネットコンテンツらしい作品
で書いたことの続き。
「作品」というのが、どうしてもしっくりこない。
小説は作品。楽曲も作品。映画も作品。みな、「誰々の作品」というように、「誰々の」がつく。
でもテレビ番組は。あんまし作品じゃない。ドラマは作品だろう。ドキュメンタリーも作品っぽい。
でも、バラエティは?プロデューサーやディレクターの作品っていうよか、出演してるタレントさんや構成作家さんをはじめ、みんなで作ってるって感じがするから、あんまし作品って気がしない。
ニュースはどうだろう。聞いたところでは、ニュースは「ネットワークのもの」だという。ニュース番組はそのアウトプットに過ぎない。ここでも作品性はきわめて希薄だ。

ニュースネットワークの前時代性や硬直性はともかくとして、ネットワークのみんなでコンテンツを作ってるんだという感覚は、個の作品性に拘泥するよりもずっと新しいのではないかと思う。
また、テレビの新しさはそんなところにも因るのではないかと思うし、映画を蹴落として娯楽メディアの中心にのし上がってきたのも、この「みんなで作る」という感覚やシステムがあったからではないかという気もしてくる。

*作品性を主張する映画的な制作スタイルは、「△」、つまりピラミッド型。頂上にいる監督は絶対。いっぽう、作品性にこだわらないテレビ的な制作スタイルは「○」。ディレクターは円の中心にいて、制作スタッフをまとめていく存在。ぼく自身はずっと後者のスタイルで仕事をしてきたので、「△」つまり作品性ありきには、どうしても抵抗感を感じてしまうのだ。

ネットコンテンツは、テレビのさらに先を行くべきで、そこにはもはや「作品」のかけらもないような気がしてしょうがないのだが。それとも、肥大化した自己では作品しか生み出せないのだろうか。

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