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窯がなくたってパン屋になれる!?

ブロガー=市民ジャーナリスト?
にも関係することだけど。
ブログとか使って主体的に発信したいと思うわけです。
もともと、(マス)メディアの発信するニュースに、「いやーぼくはこう思うんだけどねえ」とツッコミを入れるのがブログ。ある意味、お客さんというか、情報の受け手という立場がまずあって、その上で、「おれたち、ただ黙ってニュース受け取ってるわけじゃないぜ」という意思表示だったわけだ、と思う。

パン屋でいうと、パンを買いに来るお客さんが、「きょうのクロワッサン、外皮のカリッと感がイマイチだね」などと講評しているようなもん。自分でパンを焼くという発想は、なかった。
どこそこのメシはうまかったまずかったとか、映画がどうとか小説がどうとか、消費者視点のコンテンツが定番化しているのは、考えてみれば当然のことだといえる。
*以前(たぶん20年以上前)、「ロッキング・オン」で松村雄策氏が、「買ったパンがまずければ二度と買いに来なければいい、だからパン屋が評論されることはない。でもロックはそういうわけにはいかない、だから評論の対象になるんだ」みたいなことを書いてて、なるほどなあと思ったが、いまやパン屋も評論される時代となってしまった。
でも、お客さん目線というのがなんか、無責任というかエラソーというのか、基本的に好きになれないんだよねえ(自分も書いてるけどさ)。消費者って立場に埋もれてないかい、って思うこともあるわけです。無自覚無反省な消費者に安住するのはラクだけど、いまどき「無自覚無反省安住」ってのは、犯罪的じゃないとも思ったり。
たとえば、利便性を求める消費者としてはコンビニ弁当はラクでいい。プラスチック容器がじゃんじゃん消費されて捨てられる。ゴミの最終処分場とかに立ってみると、そういうので一杯なわけです。お菓子の袋とか。消費者が利便性を求め、生産者がそれに応える、そのサイクルの果てに、いろんな問題が発生しているんではないだろうか。
情報にしてもしかり。マスコミがどうとかいうけど、誰も見なきゃ極悪ワイドショーなんか成立しない。レートとれなきゃスポンサーつかないんだし。視聴者って立場に無自覚無反省に安住してしまったからマスコミがこうなっちゃったんじゃないのだろうか。
ブログは個人が情報発信するための強力なツールだから、これを使えば、主体的に情報発信することもできる。メディアはいまや、「窯がなくたってパン屋になれる」時代。
…そう思うんですけど。

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