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主観的な取材

ジャーナリストは誰の味方か。
で、ジャーナストが公正中立を保つことの重要性を、えらそーに書いた。
それ以前に、特ダネ掲示板与せず でも、
何者にも与せず、
(何者の味方にもならない)
というのが取材する者の鉄則、だよね。
中立的立場、と似てるんだけど、ちょっと違う。
「いいものはいい、悪いものは悪い」に近いかな。
主体的かつ自律的に、主観を確保する、という感じ。かなあ。

とも書いた。

これ、半分以上はぼく自身に向けて書いている。
人情としてはですね、取材先に肩入れするのがフツーです。そこをぐっとこらえて、客観性を確保できるかどうか、そこがプロの仕事だと思ってます。おまけにぼくはリサーチャー。演出を担当するディレクターとは違い、事実をあくまで追求するのが仕事です。視点はあくまでクールが大原則。そう自分を律してこれまでやってきました。

*取材を受ける側は、「マスコミが取材に来る」というと、ふつーは、いい形でとりあげてもらえると思って喜びます。ラーメン屋とかで「マスコミで紹介されました」と書いてあるのは、ふつーは自慢だよね。でも、マスコミは決して取材先を持ち上げてばかりじゃない、むしろ逆のが多いというのは、読者や視聴者の立場になってみればわかるはず。どうしてこういう矛盾した状況が生まれるのか、正直いってぼくにはよくわからない。でも、たしかに、取材現場では、「いい形でとりあげてもらいたい」という取材先の「重力」みたいなものを強く感じる。こっちもそのつもりであれば全然問題ないのだし、事実、そういうこともあるのだけど、そうでないこともある。そうでない場合、どうやって説明し、信頼関係を築き、納得してもらえるかというところで力量が問われることになるので、むしろそうした局面にこそ、やりがいを感じるのでありますが、一方、反省もいっぱいという感じです。

プロの場合はそれでいいけど、じゃ、アマの場合はどうなの、というのが目下最大の悩み。つまり、プライベートな取材で、プロと同じ流儀を通せるのかどうか。通していいのかどうか。
ぼくは、プロの「中立・公正」とはちょっと違った感覚が必要だと感じている。「いいものはいい、悪いものは悪い」というような、より主観が前面に出た感じ。そのためには、主観がしっかりしてないとブレてしまう。ここで客観性に「逃げる」わけにはいかない。
かたよった主観でいいから、「ぼくはこう思う」をいかにキープできるか。また、途中で「ぼくの考えは違うかな」と思ったら、即座に前言撤回できる柔軟性。
映像取材も、プロのような客観的な撮影(←ちょっと語弊あるかも)ではなく、撮る主体を前面に押し出した、主観的な映像取材。
これが、まだ感覚的にうまくつかめない。たぶん、「自分の主観を押し殺す」という長年身につけた習性が、自分自身を強く律しているのだと思う。もとが三河人なんで、そのへん律儀なのはしょーがない(いいわけ)。
解放されない意識。現場で試行錯誤を重ねないと。

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