ぼくは大学1年から3年の途中まで、絵に描いたような「ネットワーク人間」だった。
高校時代まで、どちらかというと嫌われ者だったし、少なくとも、多数派ではなかった。地元を飛び出して入った大学も、学生数がえらく少なく、狭いコミュニティにたちまち弾かれた(←ぼくだけじゃないけど)。自然と、学外に行動範囲を広げていった。というか、がむしゃらに広げていくしかなかった。
現実社会から弾かれた人間が、バーチャルなネットワークにすがる気持ちはよくわかる。他にないのだから。インターネットはセーフティネットとしても機能しているし、それはとても良いことだと思う。
学生当時のぼくには、バーチャルなネットワークは存在しなかったから、とにかく、リアルな関係の延長に、新たな出会いなり、自分の居場所なりを見つけようとした。呼ばれる呼ばれないにかかわらず、いろんなとこ(会議とか飲み会とか、とにかく人が集まるところ)に首を突っ込んでいった。所属大学とか所属サークルとかの看板にかかわらず、ネットワークが構築できるのがわかったのは収穫だった。サークル活動としてはろくなことをしていなかったが、あっちこっちの特に飲み会にはよく誘われて、大騒ぎして盛り上げて、横にいた知らないやつの首を締めて「おまえ、馬だ馬」と無礼なことを口走っては意識を失って人のサークルの部室に担ぎこまれたり、まあそんなこんなで、お祭り騒ぎのような日々だった。
しかし結局のところ、ネットワークはほとんど何も残さなかった。いまの仕事や友人の人脈はほとんど当時のネットワークにルーツを持つもので、既定の人間関係に留まっている限り得られなかったものだけれど、当時知り合った膨大な人数を思うと、あれは結局何だったのかとも思う。空しさだけが残ったというのが、正直な気持ち。ま、バブルでみんな浮かれてたという時代背景もあるだろうが。
ネットワークに乗ると、どうしても勢いに流されてしまいやすい。その場のノリ、みたいなもののプライオリティが自然と高くなってしまい、ほんとうの意思が後回しになってしまいがちになる。その辺の怖さというか、歯止めの効かなさへの抵抗感が、ぼくをネットワークから遠ざけたのかもしれない。以後、ぼくはバイクでの路上徘徊に夢中になり、それがやがてクルマになり、いまでは、休日のレストアが楽しみとなっている。誰とも口をきかない、ネットワークとは正反対の世界だ。
仕事は一介のフリーランスの身だから、ネットワーク型のまま現在に至っているけれども、学生時代の記憶のせいか、積極的にネットワークを構築してそれを広げていく気がしない。いっぽうで、取材の現場はまさに一期一会。支局記者のようなテリトリーがなく、その分、難しいのかもしれないども、気が楽ともいえる。テレビ局の仕事であっても、ぼくは個人の名刺を使う。放送局の社員同様にネタがとれなければフリーとして失格だし、テレビ局の名刺を使ってしまうと、取材先での出会いがぼくの財産にならないからだ。もちろん、世の中にはテレビ局の社員と、どこの馬の骨かわからないフリーランスをはっきり区別するタイプの人もいて、思ったようにはいかないこともあるけど。考えてみると、やってることは学生時代と大差ない。
取材現場では相変わらずそうなのだけれども、では、それ以外ではどうかというと、どうもやはり、ネットワークにあまり積極的ではなかった気がする。そして、それがぼくの基礎体力とかフットワークを徐々に奪っていった気もする。ライブドアと楽天じゃないけど、やっぱ、いろいろやってるのがフリーランス。「面白い」という尺度だけを頼りに、あっちこっちに首を突っ込む、どれだけ後に残る確率が低くても、それを続けていかない限り、ぼくのような「弾かれ型」の人間が生きる場は得られないのではないか、とも思ったりする。そんなことをつらつら思いつつ、ウェブを徘徊したり業界誌を読んだりして、自分の進む道を考えている今日このごろ。