新潟県中越地震報道についてはテレビを見ていて気になる部分があったので、10月26日に被災地のテレビカメラというエントリーに書いたのだけど、気がついたらブログ界でえらい騒ぎに。
以下、某MLに書いた内容をもとに、大幅加筆修正したもの。
マスコミ批判の内容はたしかにワンパターンですし、マスコミ批判が免罪符化してる感じもしますが、その一方で、これまで一般市民の間に根強くあった、マスコミへの不信やら反感やらが、ブログというツールを得て目に見えるようになっただけという気もします。
ともすれば、テレビ局の看板を出せば無理も通ってしまうようなことも時にあるためか、ロケ現場では無神経になってしまいがちです。ぼくはリサーチャーという仕事柄、ふだんは単独行動が多いのですが、たまにクルーとロケに行くと、あまりにも無神経で嫌気がさしてしまうことも時々あります(もちろんそれがすべてではなく、非常に気配りの細やかなカメラマンやディレクターも、もちろんいます)。
人数が多く、機材が多く、照明をこうこうと灯し…と、テレビクルーはどうしても目立ちやすく、活字取材などにくらべて現場に与えるストレスが大きいのは仕方がないと思うのですが、テレビカメラに対する一般市民の目がもう少し厳しくなったほうが、取材する側にとっても取材される側にとっても、お互いに健全なのではないかと思っています。
今回の震災報道を伝えるテレビニュースを見ていると、クルーごとの目線や体温の違いを感じます。被災者の方々にたいする、敬意をもったあたたかい視点をもった現地レポートもあります。テレビ人としては、常にそうあるべきだと思います。今後もおそらく、何か起こるたびに、同様のマスコミ批判が繰り返し噴出することでしょう。常に批判をさらされるべき立場なのだとの自覚を忘れず、自分の身を律してくれるものとして、そうした声を受け止めていく必要があると思います。
一方、一般市民側も、ワンパターンなマスコミ批判からいずれ脱却すべきだと思います。こんなマスコミに育て上げたのは、他ならぬ、あなたがた自身なのですから。現場での傍若無人ぶりを許したのもそうですし、そうやって作られたテレビを享受してきたのもそうです。自分たちがやってきたことを棚に上げて、マスコミだけ叩いてれば済むというのは、ちょっと甘いのではないでしょうか。
それから、これは声を大にして言いたいのですが、放送局の社員だから良くて、下請け制作会社やフリーだから悪い、という、これまたパターン化した見方はやめていただきたい。そういう紋切りな見方をするから、放送局の社員が勘違いを続けるのです。廊下で出会ってこちらが挨拶をしてもちらと一瞥するだけで無表情で通り過ぎてしまうような記者ができてしまうのです(くどいようですが、これももちろん、すべての記者がそうだと言っているわけではありません)。ぼくは一介のしがないフリーランスですから、取材現場では、常にそうした偏見を浴びています。そうした偏見を越えようという努力が、ぼくを勘違いへの道から救っているともいえますが。
PS.以前、災害報道を検証する内容の番組制作にかかわったことがありましたが、その時には、災害報道は被災者のためにあるべきだということと、人の気持ちがわからないような記者には取材してほしくないということを強く感じました。