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コミュニティが支える社会へ

(2001年09月02日以前に書かれた草稿をもとにしています)

大量生産・大量消費の企業社会ではなく、インターネットを基盤にした次世代の社会は、コミュニティがキーワードとなる。コミュニティとは、山村のようなものだ。そこに一軒のよろず屋がある。生活に必要なものを、村人はそこで買っている。村の人口は少なく、よろず屋の経営は楽ではない。老夫婦がそこそこ生活できる程度の収入しかないが、よろず屋を切り盛りするその老夫婦にとっては、自分たちが大儲けすることなどまったく念頭にない。ただ、村人の役に立っていること、店をおとずれるなじみの面々の笑顔が見られれば、それでいいのだ。
村人たちも、そんな老夫婦の気持ちをよくわかっているから、自然と足が向く。車で1時間ほど飛ばせば、もっと安いスーパーはあるのだけど、たいていはよろず屋で買い物をする。自分らにとってそのよろず屋がどんなに大切か、わかっているからだ。もし、よろず屋が深刻な経営難に陥ったら、それを知った村人は、自発的な募金に回るだろう。老主人が倒れたら、交代で店番に立つだろう。そうしてその店を、みんなで守ろうとするだろう。それはよろず屋の老夫婦のためだけではない、村のみんなのためだから。

これを単なる夢物語だと、妄想だと言う人もいるだろう。現実はそんなに甘くないと。

しかし、僕は、自分の好きなある草レースが存続の危機に瀕していると知って、支援のためのウェブサイトを開き、カンパを呼びかけ、自分も1万円の募金をした。
僕の大切にしているクルマのオーナー達が大事にしている個人運営のウェブサイトがあるが、そこが資金難で閉鎖すると言ったら、やはり同じことをするだろう。
僕がサポーター登録をして毎年お金を払っているサッカーチームは、いつも期待を裏切ってくれるけど、でも地元の熱い声援に支えられている。
…枚挙にいとまがない。

インターネット上では、あるコミュニティの主である僕は、違ういくつかのコミュニティのメンバーである。そうしたコミュニティの成員たちが、すこしづつ、お金を出し合っていけば、それぞれのコミュニティが、儲けとは無関係に、存続できるとするならば、それはみんなにとって、すごくハッピーなことだと思う。

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