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インターネットの収益構造

(2001年05月21日以前に書かれた草稿をもとにしています)

インターネットは大儲けするメディアではない。広告代理店とクライアントがデカい面をする時代は、テレビと同時に終わる。

テレビは1対マスの関係を最大限に発揮したメディアだった。時代もそれを望んでいた。大量生産の商品を販売するのに、テレビはうってつけの媒体だったからだ。

その意味で、すでにテレビの時代は終わっている。取り残された演者と取り残された観客が、風呂上がりにオンザステージを楽しんでいる。

インターネットは、1対マスには向かない。最初からそれは明らかだ。適しているのは、全世界の「ちょっとづつ」。

人口の少ない村の商店は、よろず屋だった。商圏に住むすべての人の需要に応えようと思えば、それしかない。
インターネットによろず屋は要らない。Yahoo!の一人勝ちは、黎明期の特殊な現象で、ネット社会の本格到来とともになくなる。似たようなよろず屋が林立してもネットの魅力はないし、しょせん、Yahoo!の魅力は無数の「非よろず屋」なしには成立しない。

世界中の人が見ることができるとは、世界中の人がいっせいに見ることではない。世界に点在するごく少数の人々が見ることだ。その人数は、かつてよろず屋が相手にしていた商圏の数と、さして変わらない。それがインターネットだ。URLが全ての人に開かれているからと言っても、ネットはけっしてマスメディアではない。

そこでの収益構造とは、どんなものか。けっして、客であふれかえってガバガバウハウハ、の状態ではない。静かな店内、経営者とその家族がなんとかつつましく暮らせるくらいの収入しか望めない。それでいいのだ。共生の時代、ガバガバウハウハなんて恥ずかしいだけだ。そんな幻想に浸っている人は20世紀に帰っていただきたい。

おそらく、かつてのよろず屋のように、形成されたネットワークの成員との人間くさい交流があり、半ば必要、半ばつきあいでの金銭の授受が生計の中心になるだろう。
ウェブ上での情報交換は、まったく無料だ。それに付随するさまざまな商行為、つまり店にポスターを貼って会社からお金をもらうとか、じっさいに何らかの形ある商品を売るとか、販売の取次ぎをするとか、共同購入の窓口になるとか、あるいはお客さんとのやりとりで得た無形の価値をお金に変えるとか。
たいせつなのは、そのネットワークでの信頼と実績を築き上げることだろう。稼ぎを考えるの、そのあとだと思う。
現実の村と違って、ネットワークはみずからで作り出すものだから。

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